埼玉県深谷市、深谷城址公園の東側に隣接して建つのが、冨士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)。深谷城を築城した深谷上杉氏が城の鎮守として智形大明神(ちかただいにょうじん)を祀った社が始まり。社前にある小さな堀は、藩政時代の深谷城の外堀の遺構で、深谷市の史跡に指定されています。
深谷城の鎮守社でかつては智形大明神を祀る
元和8年(1622年)に松平忠重の転封に伴って酒井忠勝(さかいただかつ)が深谷藩主となった際に、再興しています。
別当(神仏習合時代に神社を管理した寺)は、宝珠院でした。
智形大明神の祭神は、『古事記』には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱えと記される天児屋命(あめのこやねのみこと=藤原氏の祖神で春日権現)。
民俗学者・柳田國男によれば「ちかた」(智形・知形)とは、殿門を守衛する神、つまりは門神、門を守護する神のことで、深谷城の城門を守護したのかもしれません。
明治13年9月13日、富士講の隆盛を背景にして、祭神を天児屋命から木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)に変え、社号を冨士浅間神社と改めています。
深谷には江戸時代、富士講の講中のひとつ丸参講(北区の十条富士神社・十条富士塚、川口市・見沼の木曽呂の富士塚が有名)が隆盛し、仙元山公園の浅間神社など多くの浅間神社が残されています。
しかし、この冨士浅間神社に限っては、地元では今も智形神社(ちかたじんじゃ)と呼ぶ人も。
神社の入口の鳥居の横に『みかんの花咲く丘』(作詞・加藤省吾、作曲・海沼実、昭和21年8月25日にNHKのラジオ番組『空の劇場』で放送)の歌碑と「加藤省吾顕彰碑」も立っています。
冨士浅間神社(深谷) | |
名称 | 冨士浅間神社(深谷)/ふじせんげんじんじゃ(ふかや) |
所在地 | 埼玉県深谷市本住町16-26 |
電車・バスで | JR深谷駅から徒歩15分 |
ドライブで | 関越自動車道花園ICから約10km |
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