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岩槻城・黒門

岩槻城・黒門

埼玉県さいたま市岩槻区、岩槻城址公園テニスコートの南側にあるのが、岩槻城・黒門。明治4年の廃藩置県で、岩槻藩の藩庁だった岩槻城は廃城となり、埼玉県の誕生とともに、黒門も浦和に移されて埼玉県庁正門などに利用されましたが、昭和29年、当時の岩槻市に払い下げられ、昭和45年、岩槻公園内に移築したもの。

三の丸、藩主居館の長屋門だったと推測される門

門扉の左右に部屋がある長屋門形式で、石垣と竹垣は展示用に造られたもの。
往時にどの場所に建っていたかは定かでありませんが、三の丸のあった藩主居館の長屋門ではないかと推測されています。
名前の由来は、木部が黒く塗られているから。

岩槻城は、明治時代に本丸のほぼ中央部を貫いて、春日部に至る道路が建設されたことなどにより、城跡の面影を失っています。
本丸、二の丸、三の丸は沼に囲まれていましたが、それも埋め立てられ市街地になっています。
三の丸があったのは、現在の城址公園入口交差点、岩槻温水プールあたりです。

現存する裏門(搦手門)とともに、岩槻城の貴重な遺構で、さいたま市の文化財に指定。

岩槻城・黒門
名称 岩槻城・黒門/いわつきじょう・くろもん
所在地 埼玉県さいたま市岩槻区太田3-4
関連HP さいたま市公式ホームページ
電車・バスで 東武野田線岩槻駅から徒歩25分
ドライブで 東北自動車道岩槻ICから約3.5km
駐車場 第1駐車場(78台/無料)、第2駐車場(150台/無料)、第3駐車場(63台/無料)、臨時駐車場(50台/無料)
問い合わせ 岩槻城址公園 TEL:048-757-9122/FAX:048-878-8310
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

岩槻城(岩槻城址公園)

武蔵国埼玉郡岩槻(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)にあった岩槻藩の藩庁が岩槻城(いわつきじょう)。岩付城、岩附城、白鶴城、浮城とも呼ばれた城跡は岩槻城址公園として整備されています。中世には岩付太田氏の居城でしたが、徳川家康の関東入封後には高力

岩槻・時の鐘

埼玉県さいたま市岩槻区、岩槻城址公園の西側、渋江交差点近くにあるのが岩槻・時の鐘。寛文11年(1671年)が、岩槻藩主・阿部正春(あべまさはる)が渋江口に設置した時鐘で、享保5年(1720年)の改鋳を経て、現在に至るまで、毎日、6:00、正

 

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