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日本最大の「上円下方墳」が埼玉県に!

山王塚古墳

円墳、方墳、前方後円墳など、いろいろな種類のある古墳ですが、なかには上円下方墳(じょうえんかほうふん)という耳慣れない古墳もあります。下段が方形、上段が円形という珍しいスタイルで、国内に数例しかありませんが、最大のものが埼玉県川越市にある山王塚古墳(さんのうづかこふん)です。

飛鳥時代の651年〜674年頃に築造された終末期古墳

川越市にある13基の古墳からなる南大塚古墳群(みなみおおつかこふんぐん)の1基で、その東端に位置するのが山王塚古墳で、国の史跡。

下方部の一辺69m、上円部直径37m、墳丘盛土は高さ5mで、律令制が始まる7世紀後半の築造。
ガラス小玉、東海地方で製造された須恵器などが出土しています。

飛鳥時代に築かれた終末期古墳で、6世紀末に王権の象徴たる前方後円墳の築造が終焉し、それに代わって円墳、方墳、八角墳が築かれるようになりましたが、上円下方墳もそのひとつです。

関東地方では、東京都府中市の武蔵府中熊野神社古墳、三鷹市の天文台構内古墳も終末期古墳で、やはり上円下方墳で、武蔵国には3基もの上円下方墳が残されています。

とくに山王塚古墳は、武蔵国における最終段階の大型古墳で、東国と畿内、東アジアの要素が共存し、大型古墳築造の終焉を知る貴重な古墳になっています。
畿内の終末期古墳の墳丘構築法が導入されている点からもヤマト王権との密接な関係性がわかります。
基壇を築き、その上に石室を組むという構造は朝鮮半島南部の古代寺院の建築方法に共通することから、大陸文化が導入されているのだと推測できます。

飛鳥時代には、すでに古墳は小型化していますが、「山王塚古墳については、大きさには強いこだわりがあります」(川越市教育委員会)というように、東国ではまだ大型の古墳が築かれています。

石室に利用された安山岩は旧利根川河川敷(現在の本庄市、深谷市あたり)から、緑泥片岩は荒川水系(現在の小川町を流れる槻川)から搬入されているので、埋葬された首長の勢力範囲も想定されます。

律令制への移行期である7世紀には東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)が敷設され、山王塚古墳の西2.5kmの場所を南北に走っているので、当時の幹線道路を開削した首長が埋葬されている可能性も考えられています。

日本最大の「上円下方墳」が埼玉県に!
名称 山王塚古墳/さんのうづかこふん
所在地 埼玉県川越市大塚
関連HP 川越市公式ホームページ
電車・バスで 西武鉄道南大塚駅から徒歩25分
ドライブで 関越自動車道川越ICから約1km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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