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『平家物語』に登場の沙羅双樹は、日本には咲かない!? 花の色は何色!?

沙羅双樹

6月は京都・東林院などで、「沙羅双樹」(さらそうじゅ)が見頃を迎える季節。『平家物語』の冒頭のお馴染みのフレーズ、「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す」ですが、実は東南アジアが原産で、日本での栽培は温室がないと無理。では、日本の「沙羅双樹」は何!? 「沙羅双樹の花の色」ははたして何色!?

本当の「沙羅双樹の花の色」は白ではなく黄色がかった白色

日本の沙羅双樹、ナツツバキは梅雨時に白い花を咲かせます

「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」という『平家物語』の冒頭。
「沙羅双樹の花の色」は、どんなに勢いがある者も、必ず衰えるという道理を表しているとのことですが、釈迦に入滅の際、周囲に植えられていて「仏教の三大聖樹」に数えられるという沙羅双樹(フタバガキ科サラノキ属)は新宿御苑の温室(熱帯低地コーナーで5月頃に開花)、滋賀県草津市の水生植物公園みずの森(4月に開花/花を咲かせない年も)などでしか見ることができません。
「春に淡黄色がかった白い花を咲かせ、ジャスミンにも似た香りを放つ」というのが最大の特徴です。

京都・東林院などで植栽される、「沙羅双樹」は、ナツツバキ(ツバキ科ナツツバキ属)で、そもそも科も異なる植物です。。
別名はシャラノキ(沙羅木)で、沙羅双樹に似ているということで、江戸時代に「沙羅双樹」と称されるようになったもの。
ナツツバキの花は、夜明け前に咲いても日が暮れるころには散ってしまうことから諸行無常のたとえとして『平家物語』に使われたという報道でもよく目にする紹介は、どう考えてもマユツバ、後づけです。

『平家物語』に登場する「沙羅双樹の花の色」は、釈迦が生まれた地に育む無憂樹(マメ科)、悟りを開いた地の印度菩提樹(クワ科)とともに「仏教の三大聖樹」に数えられる本場、沙羅双樹のこと。

釈迦入滅の情景を描いた平安時代後期の『仏涅槃図』にも沙羅双樹が描かれ、すでに平安時代にはどういう花かはよく知られていたと推測できます。
釈迦が入滅する際、周囲の白い花の咲く沙羅双樹の花が落ち、樹皮が白化したとされ、平安時代にはすでに「仏陀入滅の際の沙羅双樹の白化=滅亡・死」「盛者必衰」というイメージが定着していたのです。
応徳3年(1086年)に完成の『後拾遺和歌集』(ごしゅういわかしゅう)にも、 万寿4年12月4日(1028年1月3日)に没した藤原道長(ふじわらのみちなが)への弔歌(ちょうか)として、ブッダ入滅の際の沙羅双樹をたとえに上げているので、『平家物語』成立以前に沙羅双樹=死・滅亡のイメージが定着していたことがわかります。

ちなみにヒメシャラは、このナツツバキ(日本版「沙羅双樹」)の小型版ということで名がつけられたツバキ科ナツツバキ属の木。
こちらも残念ながら本来の沙羅双樹とは縁もゆかりもありません。

『平家物語』に登場の沙羅双樹は、日本には咲かない!? 花の色は何色!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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