ソースカツ丼は、長野県、福井県、群馬県などでも「ご当地料理」となっていますが、2004年に町の食堂が集結し、「伝統会津ソースカツ丼の会」が結成され(2024年で20周年)、伝統にも裏打ちされているのが会津のソースカツ丼。「大正時代から親しまれてきた会津庶民の味」をPRしています。
カツレツ+ソースの普及がソースカツ丼を生んだ!
ソースカツ丼の元祖(ルーツ)に関しては諸説あり定かでありません。
一説には大正2年、東京・早稲田大学向かいにあった洋食店「ヨーロッパ軒」の主人・高畠増太郎氏が東京で開かれた料理発表会で創案のソースカツ丼を披露、自店で売り出したのが始まりといわれています。
この高畠増太郎氏、大正12年、関東大震災で荒廃した東京から故郷の福井に戻り、大正13年1月、福井駅前の片町通りに福井ヨーロッパ軒を開いているので、福井のソースカツ丼の発祥にもなっているのです。
この「福井のソースカツ丼の発祥」は、ヨーロッパ軒でソースカツ丼が生まれたという裏付けにもなっています(ただし甲府の「奥村本店」がルーツという説もあり定かでありません/「奥村本店」では丼にのせたカツに好みでソースをかけて味わうスタイル)。
会津にソースカツ丼が「伝来」したのは、「伝統会津ソースカツ丼の会」によれば大正時代とのことですが、「会津のソースカツ丼」の元祖の店「若松食堂」が城下町・会津若松に店を開いたのが昭和5年のこと。
開店時にコックを東京・浅草から招き、目玉商品として生み出したのがソースカツ丼。
終戦直後の昭和23年には「煮込みソースカツ丼」の元祖で、「会津ソースカツ丼の会」の事務局を務める「中島食堂」(現「元祖煮込みソースカツ丼 なかじま」」も創業しています。
会津若松のソースカツ丼は、店によっても微妙に異なるものの、千切りキャベツの上にカツが乗っている点。そして「元祖煮込みソースカツ丼 なかじま」のように日本で唯一ともいえる「卵でとじながらソース味」というカツ丼があることです(「元祖煮込みソースカツ丼 なかじま」では両方のカツ丼を提供)。
実は、千切りキャベツの上にカツをのせるというのは、会津若松が発祥なんだとか。
世の中に流布するカツ丼(卵とじで醤油・出汁味)は、実は高度成長時代に、日本全国津々浦々に普及したメニューで、それまでは、こうしたご当地カツ丼も隆盛していたのだと推測できます。
会津ではもともとキャベツ栽培が盛んだったこともあり、ご飯の上に千切りキャベツをのせるというのは、ごく自然な成り行きだったのだと推測できます。
第一次世界大戦の戦後景気を背景に、醤油メーカーなどもソースの製造に乗り出し、大正時代に新興ソースメーカーが続々と誕生。
関東大震災直後の大正12年、東京・板橋の常盤商會が売り出したトキハソース(創業者で西洋料理人の小倉榮男が開発)、粉もん文化の大阪に大黒屋「大黒ソース」、そして大正13年、浜松にタカラソース(後の鳥居食品「トリイソース」)と今もある人気のソースが生まれています。
カツレツの大衆化、そしてソースの普及、加えて会津には特産のキャベツがあり、関東大震災後の料理人流入などもあって、会津にソースカツ文化が芽生えたことは間違いありません。
会津若松に旅することがあるなら、ソースカツ丼を、ぜひ。
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