エミー賞®史上最多18部門受賞作品 『SHOGUN 将軍』では、徳川家康が「虎永」として登場しますが、その配下、三浦按針ことウィリアム・アダムスも「按針」として登場。その三浦按針は、徳川家康の外交顧問として、オランダ、イギリスとの外交を樹立。日本での業績を「年表」で学びましょう。
三浦按針(ウィリアム・アダムス)は外交にも大活躍
真田広之がプロデュース・主演を務めた『SHOGUN 将軍』(第76回エミー賞で史上最多となる18の賞を受賞)に登場するイギリス人航海士のジョン・ブラックソーンは、ウィリアム・アダムス(William Adams/三浦按針)がモデルです。
年号 | 内容 | 場所 |
慶長3年5月21日 (1598年6月24日) | ウィリアム・アダムス(William Adams)の乗船する「リーフデ号」がオランダ・ロッテルダム港を出航 | オランダ ロッテルダム |
慶長5年3月16日 (1600年4月29日) | ウィリアム・アダムスの乗船する「リーフデ号」が豊後国臼杵の黒島に漂着 | 大分県 臼杵市 |
慶長5年3月30日 (1600年5月12日) | 家康は初めてウィリアム・アダムス、オランダ人の船員ヤン・ヨーステン(日本名は耶揚子=八重洲の由来)らと大坂城(現・大阪城公園)で引見 | 大阪府 大阪市 |
慶長5年9月15日 (1600年10月21日) | 美濃国関ヶ原で、「天下分け目」の関ヶ原の合戦 | 岐阜県 関ケ原町 |
慶長9年(1604年) | 家康の命で伊豆国・伊東で洋式帆船を建造 | 静岡県 伊東市 |
慶長10年(1605年) | 家康はアダムスの功績に対し、三浦郡逸見に領地250石と刀2本、脇差、さらには三浦按針という名を下賜 | 神奈川県 横須賀市 |
慶長10年(1605年)頃 | 三浦按針、江戸・日本橋に屋敷を構える | 東京都 中央区 |
慶長12年 (1607年) | 120tの船舶(ガレオン船)の「サン・ブエナ・ベントゥーラ」を造船 | 静岡県 伊東市 |
慶長14年 (1609年) | オランダ国王使節が来日、外交顧問・三浦按針の協力のもと、家康の居城・駿府城で日本とオランダとの国交が樹立される | 静岡県 静岡市 |
慶長14年 (1609年) | 外交顧問・三浦按針の尽力で、肥前国・平戸にオランダ東インド会社日本支店としてオランダ商館を設置 | 長崎県 平戸市 |
慶長18年 (1613年) | 外交顧問・三浦按針のの尽力で、イギリス東インド会社のジョン・セーリスが駿府城で家康に、江戸城で2代将軍・徳川秀忠に謁見 | 静岡県 静岡市 |
慶長18年 (1613年) | 肥前国・平戸にイギリス商館を設置(リチャード・コックスが商館長に就任) | 長崎県 平戸市 |
慶長19年 (1613年) | 肥前国・平戸で母国であるイギリス商館の仕事に従事、平戸と東南アジア間の交易ルートを構築/この年、大坂冬の陣 | 長崎県 平戸市 |
慶長19年 (1613年) | 「シー・アドベンチャー号」(中国のジャンク船を改造)が奄美大島で航行不能となり、三浦按針は琉球に渡り、那覇港で改修 | 沖縄県 那覇市 |
慶長20年(1615年) | 「シー・アドベンチャー号」がサツマイモを平戸に持ち帰り、平戸に植栽(国内最初の甘藷畑とも)/この年、大坂夏の陣で豊臣家滅亡 | 長崎県 平戸市 |
元和2年4月17日 (1616年6月1日) | 徳川家康が駿府城で没、久能山(現・久能山東照宮)に埋葬され、東照大権現として神格化される 徳川秀忠との目通りも叶わず、この後、三浦按針の立場は不遇に | 静岡県静岡市 |
元和6年4月24日 (1620年5月26日) | 三浦按針、平戸で死去(満55歳没) | 長崎県平戸市 |
『SHOGUN 将軍』に登場の英国人航海士、三浦按針の業績を「年表」で学ぶ | |
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