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『SHOGUN 将軍』に登場の英国人航海士、三浦按針ゆかりの地へ!

エミー賞®史上最多18部門受賞作品 『SHOGUN 将軍』では、徳川家康ら、歴史上の人物にインスパイアされたドラマのため、徳川家康が「虎永」として登場しますが、その配下、三浦按針ことウィリアム・アダムスも「按針」として登場。その三浦按針ゆかりの地を、東京、神奈川・横須賀、伊豆・伊東、長崎・平戸に訪ねます。

ウィリアム・アダムスが帆船を建造した地|静岡県伊東市

所在地:静岡県伊東市渚町
内容:日本に漂着したウィリアム・アダムスは、自身が乗船し、豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)の黒島に漂着後、江戸湾に係留されていた「リーフデ号」が沈没したため、徳川家康の命で伊豆国・伊東を流れる松川(伊東大川)の河口に日本で初めての造船ドックを設け、洋式帆船を建造
船大工の経験があったというウィリアム・アダムスが最初に築いたのは80tほどの帆船で、慶長9年(1604年)に完成、家康はさらに大型船の建造をアダムスに命じています。
アダムスが洋式帆船を建造した松川(伊東大川)の河口には按針メモリアルパークが築かれています。

按針メモリアルパーク

静岡県伊東市渚町、伊豆大島への高速船が出航する伊東港近く、松川(伊東大川)の河口にあるのが按針メモリアルパーク。按針とは三浦按針(ウィリアム・アダムス)のことで、日本に漂着したアダムスは、徳川家康の命により、伊東に日本で初めての造船ドックを

按針祭|伊東市

毎年8月10日、静岡県伊東市で『按針祭』を開催。三浦按針(ウィリアム・アダムス=William Adams)が日本で最初に西洋式帆船を建造した伊東には「按針メモリアルパーク」が設けられ、夏には『按針祭』が開かれています。また伊東市はアダムス

相模国三浦郡逸見村に領地を持つ|神奈川県横須賀市

所在地:神奈川県横須賀市
内容:徳川家康はウイリアム・アダムスを旗本に取り立て、相模国三浦郡逸見村(へみむら=現・横須賀市)に領地を与えます
領地の三浦、そして水先案内人という意の按針から、三浦按針と名乗り、帰国の願いはかないませんが武士となりました
神奈川県立塚山公園の安針塚(三浦按針夫妻供養塔)には一対の石灯籠がありますが、寛政10年(1798年)に江戸日本橋按針町から寄進されたもの

逸見駅

神奈川県横須賀市東逸見町2丁目にある京浜急行電鉄本線の駅が、逸見駅(へみえき)。昭和5年4月1日、京浜急行電鉄の前身、湘南電気鉄道の駅として開業した駅で、山が迫る横須賀の谷間に築かれているため、連続するトンネルの途中で、ホームもカーブしてい

三浦按針が江戸・日本橋に屋敷を構えた地|東京都中央区

所在地:東京都中央区日本橋室町1-10-8
内容:武士となった三浦按針は江戸・日本橋に屋敷を構えています
オランダ船「リーフデ号」で漂着した人物にはヤン・ヨーステン(オランダ人の航海士)も同様に旗本となって江戸城の内堀沿い、現在の八重洲に屋敷を構えたので、八重洲という地名が生まれています

三浦按針屋敷跡

東京都中央区日本橋室町1丁目にあるのが、三浦按針屋敷跡。関ヶ原の戦い直前に日本に漂着したイギリス人(イングランド人)の航海士ウィリアム・アダムスは、五奉行のひとり、徳川家康に迎えられ、江戸に屋敷を構えていますが、その場所がここ。その後、三浦

三浦按針が外交官として活躍した駿府城|静岡県静岡市

所在地:静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1
内容:江戸時代初期の日本の外交はスペイン・ポルトガル(カトリック国王)でしたが、イエズス会がキリスト教を布教することは植民地政策につながることを三浦按針は家康に強く訴え、それを受け入れた家康は三浦按針の仲介で、オランダ、イギリスと国交を樹立します
当時、家康は駿府城で大御所政策を行なっていたため、オランダ、イギリスの使節団(東インド会社)は、駿府城で家康に謁見し、平戸に商館を築くことを認められています

駿府城(駿府城公園)

静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四聯隊の兵営があった場

商館が築かれ、そして三浦按針終焉の地|長崎県平戸市

所在地:長崎県平戸市崎方町ほか
内容:三浦按針の尽力で、平戸が徳川幕府の国際貿易港となり、オランダ商館、イギリス商館が築かれます
江戸に屋敷を構えた三浦按針も商館で仕事を行ない、55歳の生涯を平戸で閉じています
平戸には復元された平戸オランダ商館、三浦按針の墓などがあり、三浦按針ゆかりの地となっています

平戸オランダ商館

平戸オランダ商館は、慶長14年(1609年)に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社(VOC)が、平戸城主・松浦隆信(まつらたかのぶ)の導きによって平戸に設置した、東アジアにおける貿易拠点。現存する遺構はオランダ塀、オランダ井戸、埠頭、石

三浦按針の墓

三浦按針(みうらあんじん)、本名ウィリアム・アダムス(William Adams)は、イングランド人航海士・水先案内人。元和2年(1616年)の徳川家康没後に、平戸(現・長崎県平戸市)のイギリス東インド会社、平戸イギリス商館の仕事に従事し、

平戸歴史の道・三浦按針像

長崎県平戸市は、中国や朝鮮半島との交流が盛んでしたが、江戸時代には1609年、東インド会社が平戸オランダ商館を開設。この商館建設を徳川家康に助言したのが、エミー賞18冠獲得の『SHOGUN 将軍』で再注目の三浦按針(ウィリアム・アダムス)。

『SHOGUN 将軍』に登場の英国人航海士、三浦按針ゆかりの地へ!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

『SHOGUN 将軍』に登場の英国人航海士、三浦按針の業績を「年表」で学ぶ

エミー賞®史上最多18部門受賞作品 『SHOGUN 将軍』では、徳川家康が「虎永」として登場しますが、その配下、三浦按針ことウィリアム・アダムスも「按針」として登場。その三浦按針は、徳川家康の外交顧問として、オランダ、イギリスとの外交を樹立

 

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