幕末の慶応3年(1867年)、徳川幕府で最後の将軍となった徳川慶喜が幕府を代表して欧米公使と開港交渉の際、フランス人料理人を雇い、欧米公使をもてなしたコーヒー(珈琲)を、サザコーヒー(茨城県ひたちなか市)が文献をもとに再現したのが「将軍珈琲」。店で味わえるほか、ネットでの購入も可能です。
慶応3年、大坂城での晩餐会で外国公使にフランス料理を提供
明治維新後には趣味はカメラだったというハイカラな15代将軍・徳川慶喜も愛飲したコーヒー。
徳川慶喜のひ孫、写真家・德川慶朝(とくがわよしとも)さんも加わって、平成15年に再現したのが「将軍珈琲」です。
德川慶朝さんは、単なる末裔(まつえい)というだけでなく、『将軍が撮った明治-徳川慶喜公撮影写真集』(徳川慶喜撮影、徳川慶朝編/朝日新聞社)、『徳川慶喜家の食卓』(文藝春秋)、『徳川慶喜家にようこそ-わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔』(文藝春秋)、『徳川慶喜家カメラマン二代目』(角川新書)などの著作もある徳川慶喜研究の第一人者。
晩年は水戸徳川家ゆかりの茨城県ひたちなか市(サザコーヒー本店もひたちなか市です)に居住し、平成29年没。
慶応3年3月28日(1867年5月2日)、大坂城の本丸御殿(後の戊辰戦争で焼失)で、徳川慶喜はイギリス公使パークス、オランダ公使ボルスブルック、フランス公使ロッシュと個別に会見(幕末の大坂城には天守はなく天守台だけでした)。
それに先立って、横浜居留地で営業していた「ホテル&レストラン ド・コロニー」の経営者A.ラプラスに依頼し、大坂城本丸御殿の白書院に椅子やテーブルを運ばせ、ワッソールというシェフが調理し、20皿を超えるフランス料理を各国公使にふるまいました(この時、各国に兵庫開港を宣言)。
その際のメニューは『坂城ニ各国公使謁見一件』という史料に残されています。
その際に出されたコーヒー豆は、「モカ・ジャワ」だったと推測でき(幕末の流行は「モカ・ジャワ」)、オランダの取り扱いが全盛期で60%を占めていたことから、旧オランダ領スマトラの「マンデリン」を(オランダの植民地だったインドネシアは当時世界最大のアラビカコーヒー産地)、史実に基づき当時のフランス風(晩餐会ではフランス料理の最後に、フランス人がフレンチローストで提供)に焙煎したというのが、将軍珈琲です。
当時のフレンチロースト焙煎は炭焼き焙煎、しかも熱源にコークスを使ったコークス焙煎という可能性が高いため、あえて焙煎機にたくさんコークスを入れて焙煎するなど、德川慶朝さんとサザコーヒーの鈴木太郎社長が試行錯誤を繰り返し、苦心の末に再現したのが「将軍珈琲」なのです。
ふたりの合言葉は「遠火の炭火」だったとか。
「ベルベッドのようなワインに似た、濃厚できめ細かな甘さを最後の一滴まで味わえます」という宣伝文句ですが、少し濃いので、ストレートを楽しんだ後にはカフェオレにするのもいいでしょう(店舗では『将軍カフェオレ』として人気)。
「サザコーヒー」は、茨城県に店舗を出店していますが、KITTE丸の内店、エキュート品川店、エキュートエディション新橋SL店、東京農業大学店、エキュート大宮店、東急二子玉川店などもあって、将軍珈琲を味わったり、豆の購入もできます。
「サザコーヒー」のオンラインショップ、Amazon、楽天市場でも購入可能です。
最後の将軍・徳川慶喜が愛飲した「将軍珈琲」はどんな味!? | |
所在地 | 茨城県ひたちなか市共栄町8-18 |
場所 | サザコーヒー本店 |
関連HP | サザコーヒー公式ホームページ |
問い合わせ | サザコーヒー TEL:029-274-1151 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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