富原薫(ふはらかおる)作詞、草川信作曲の童謡『汽車ポッポ』。「汽車汽車ポッポポッポ」の歌い出しで知られるこの歌の生まれた駅、誕生の地は、静岡県御殿場市の御殿場駅。戦前は富士山の登山口としても栄えた駅で、昭和13年に生まれました。しかも原題は『兵隊さんの汽車』。そこには誕生にまつわる歴史が・・・。
地元の教員が作詞した出征兵士を見送る歌だった!
童謡『汽車ポッポ』の1番に「僕らを のせて」とありますが、元歌の『兵隊さんの汽車』では「兵隊さんを のせて」となっています。
実は歌詞も大違いで、現在の『汽車ポッポ』では汽車(蒸気機関車)がスピートを上げて、早いぞと喜ぶシーンとなっていますが、『兵隊さんの汽車』では、なんと日の丸を振って僕らは見送りますというシーンで、万歳三唱で終わるのが1番になっています。
この童謡『兵隊さんの汽車』が誕生したのは昭和13年。
戦地へ向かう兵士を乗せた列車が御殿場駅から出発する光景を描いた歌だったのです。
終戦直後の昭和20年12月31日、NHKラジオで『紅白歌合戦』の前身となる『紅白音楽試合』が放送される際に、戦時下でよく歌われたヒットソングだった『兵隊さんの汽車』を歌うことになったのですが、やはり兵隊さんではまずいということで(GHQを刺激し、国民感情的にもよくない)、作詞者の富原薫に改作が要請され、現在の歌詞になったのです。
内容も平和的なものに大きく改変され、戦時色は一切失われました。
作詞家の富原薫は、改変にはあまり乗り気ではなかったようで、軍部はこの歌を戦意高揚に利用しましたが、教師だった富原は教え子を戦地に送る際の惜別の歌と考えていたのかもしれません。
地元出身の富原は、須走尋常小学校代用教員、高根小学校で教員を務めていましたが、『兵隊さんの汽車』は、高根小学校の教師をしていた昭和12年8月の作詞なのです。
昭和14年にヒットした曲は、『兵隊さんよありがとう』。
コロムビア児童合唱団の歌唱で、全国的にヒットしましたが、こちらももともとは、新聞社(大阪朝日新聞、東京朝日新聞)が、「皇軍将士に感謝の歌」を募集したという戦意高揚の歌でした(佳作一席で、一等は『父よあなたは強かった』)。
御殿場駅前には「御殿場駅ポッポ広場」があり、実際に戦後、御殿場線で活躍したD52-72が静態保存されています。
昭和19年に川崎重工兵庫工場で製造され、御殿場線に入線したのは昭和21年以降なので、御殿場駅で出征兵士を乗せた列車ではありません。
なお、「御殿場駅ポッポ広場」にはなぜか元歌の『兵隊さんの汽車』のことには触れられていません。
童謡『汽車ポッポ』の舞台は、御殿場駅 | |
所在地 | 静岡県御殿場市新橋1898-3 |
場所 | 御殿場駅 ポッポ広場 |
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