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全国に数例の不思議な古墳、「双方中円墳」を知っていますか!?

双方中円墳

前方後円墳、円墳、四角形の方墳など、古墳には様々な形状がありますが、あまり知られておらず、見たこともない形状の古墳が、「双方中円墳」。中心部に円形の墳丘があり、その両側に方形の突出部2つが接続するスタイルで、日本最大の双方中円墳である奈良県天理市の櫛山古墳(くしやまこふん)は墳丘長が155mもあります。

古墳を「見せる」ことを重視した結果、生まれた!?

櫛山古墳

双方中円墳を知らない人が多いのは当然で、全国的にも櫛山古墳のほかに、香川県高松市にある石清尾山古墳群の稲荷山北端古墳、猫塚古墳、鏡塚古墳、そして2021年に双方中円墳と判明した福岡県うきは市の西ノ城古墳の5基しか確認されていません。

しかも東日本には見られない特異なスタイルで、2つの方丘部分は、円丘と外部をつなぐ通路が発達したものと推測できます。

全国に16万基もあると推測される古墳ですが、そのうちわずか数例というのが双方中円墳なので、知らない人がほとんどの型式というのもうなづけます。
確実に双方中円墳だという香川県高松市の石清尾山古墳群(いわせおやまこふんぐん)にある3基のうち、猫塚古墳は墳丘長96mで4世紀前半の築造、しかも土を盛るのではなく、積石塚と呼ばれる地元の安山岩を積んだ不思議な構造です。
盗掘にあっているため副葬品も少なく、被葬者も定かでありません。
猫塚古墳が積石塚なので、朝鮮半島の影響も考えられますが、双方中円墳は日本(倭国)独自のスタイルで、朝鮮半島では見つかっていません。

土地の形状を利用したというよりも、意図して石を「双方中円」に積んでいるので、なにか目的があった型式だとも思えるので、古墳を「見せる」ことを重視した結果、生まれたスタイルとも推測できます。

新たに2021年に双方中円墳と判明した福岡県うきは市の西ノ城古墳は、出土した土器片から古墳時代前期初頭(3世紀後半)の築造と推定され、これまで4世紀とされていた築造年代も、西ノ城古墳が双方中円墳となったことで、前倒しされます。

双方中円墳は弥生時代後期の墳丘墓が発展した古墳とされ、その原型とされるのが、弥生時代後期(2世紀後半~3世紀前半)に築かれた岡山県倉敷市の楯築墳丘墓(たてつきふんきゅうぼ)。
瀬戸内海の交流で広がっていった特異な古墳の型式から、ヤマト王権の清涼拡大を知る貴重な手がかりにもなっています。

全国に数例の不思議な古墳、「双方中円墳」を知っていますか!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

櫛山古墳

奈良県天理市にある墳丘長152mという巨大な双方中円墳(そうほうちゅうえんふん=前方部を両側に築いた独特な墳形)が、櫛山古墳(くしやまこふん)。古墳時代前期に築かれた柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)の1基で、双方中円墳は全国で4ヶ所、6例

全国に数例の不思議な古墳、「双方中円墳」を知っていますか!?

前方後円墳、円墳、四角形の方墳など、古墳には様々な形状がありますが、あまり知られておらず、見たこともない形状の古墳が、「双方中円墳」。中心部に円形の墳丘があり、その両側に方形の突出部2つが接続するスタイルで、日本最大の双方中円墳である奈良県

 

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