佐賀県佐賀市金立町にある国の史跡に指定される古墳が、銚子塚古墳。墳丘長は98mと惜しくも100mに届きませんが、佐賀平野では船塚古墳(114m)に次ぐ巨大古墳で、佐賀県内でも久里双水古墳(唐津市108.5m)に続く第3位の巨大古墳です。
古墳時代前期に佐賀平野を治めた首長の墓
標高15mほどのゆるやかな丘陵に築かれた前方後円墳で、墳丘長98m、後円部直径58m、前方部幅32mで、幅11.5m~28mの濠が巡らされています。
墳丘は後円部が3段築成、前方部が2段築成で、表面には葺石が配されています。
前方部が発達しない「柄鏡式」という墳形と、開墾中に偶然出土した土師器壺などの出土遺物から4世紀末(古墳時代中期初頭)の築造と推測されています。
墳頂に忠魂碑が立っていますが、埋葬施設の発掘調査は行なわれていません(竪穴式石室だと推測されています)。
佐賀市大和町にある佐賀県一の巨大古墳、船塚古墳は5世紀中頃(古墳時代中期)の築造なので、少し前の時代にヤマト王権と密接な関係を有し(畿内の古墳と共通の設計)、権力をもった首長の墓ということに。
現在の佐賀県(肥前国)は、日本海に浮かぶ壱岐、対馬とともに大陸からの影響をいち早く受ける地域で(唐津市の菜畑遺跡には日本最古の水田跡があります)、弥生時代には佐賀平野に大規模な環濠集落(吉野ヶ里遺跡)も形成されています。
古代のヤマト王権から見ればその領域の西の端に当たる地域が現在の佐賀県。
しして有明海沿岸部の前期古墳で最大級となるのが、銚子塚古墳です。
銚子塚古墳の造営に関しては、ヤマト王権との関係を指摘する研究者もいて、大型の古墳文化の伝搬と捉えることもできるのです。
同じ佐賀市金立町には5世紀末頃築造と推測される直径30mの円墳、西隈古墳(玄室内は赤色顔料で塗装)もあり、石棺系装飾古墳の代表例となっています。
銚子塚古墳 | |
名称 | 銚子塚古墳/ちょうしづかこふん |
所在地 | 佐賀県佐賀市金立町大字金立 |
関連HP | 佐賀市観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 長崎自動車道佐賀大和ICから約3.5km |
問い合わせ | 佐賀市教育委員会社会教育部文化振興課 TEL:0952-40-7368 |
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