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ヒヤーガンサン古墳

ヒヤーガンサン古墳

佐賀県鳥栖市弥生が丘7丁目、鳥栖プレミアム・アウトレットのすぐ東側にある古墳が、ヒヤーガンサン古墳。直径20mの円墳ですが、赤色の装飾文様が石室の奥壁に描かれ、佐賀県では同じ鳥栖市内にある田代太田古墳とともに希少な装飾古墳で、梅坂公園内に移設保存されています。

石室奥壁にベンガラで描いた装飾文様が!

ヒャーガンサンという不思議な名称(地名)は、灰岩山、拝願山の意とする説や、かつてこの地にあった木を伐採して山から下ろしたところ、足腰が立たなくなり、這うことしかできなくなったという「這わせる神様(ハウ・カンサン)」がいる場所との説があり、定かでありません。
鳥栖北部丘陵新都市(弥生が丘)の造成で、平成14年に梅坂公園内に移設復元されています(石室の主軸方位、床面の標高なども往時同様に復元、さらに床面は石を敷き詰めて初葬時の状態に戻しています)。

埋葬施設は、複室両袖型の横穴式石室で、全長は4.8m、玄室の長さは3.1m、幅は最大2.2m、高さは最大2.2mの規模です。
石室奥壁(高さ2.5m、幅2.5m)の装飾文様(TOPの画像)は、ベンガラ(紅殻)を使って描かれ、中央に直径25cmの円文のなかに十字文を配した大名・島津家のような文様、その左側に直径25cm、右側に直径25cmと15cmの中心部に点が打たれた円文が配され、同じ時代に築かれた伊勢塚古墳(佐賀県神埼市/玄室奥壁に赤色の円文が描かれていますが、現在では肉眼での識別は困難)との類似性も指摘されています。

田代太田古墳(鳥栖市田代本町)の数十年後にヒヤーガンサン古墳(鳥栖市弥生が丘7丁目)が築かれていることから、3色で塗装の田代太田古墳は九州における装飾古墳の最盛期、そして赤色のみを使ったヒヤーガンサン古墳は、装飾古墳の終末期に築かれたとことがわかります。

ヒヤーガンサン古墳の石室は、保存の必要性から通常は非公開で、年1回特別公開(田代大田古墳と同時公開)されています。

ヒヤーガンサン古墳
名称 ヒヤーガンサン古墳/ひやーがんさんこふん
所在地 佐賀県鳥栖市弥生が丘7丁目 梅坂公園
関連HP 鳥栖市公式ホームページ
電車・バスで JR弥生が丘駅から徒歩25分
ドライブで 長崎自動車道鳥栖ICから約3km
駐車場 梅坂公園駐車場(12台/無料)
問い合わせ 鳥栖市生涯学習課文化財係 TEL:0942-85-3695/FAX:0942-83-0042
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

田代太田古墳

佐賀県鳥栖市田代本町にある直径42m、高さ6mほどの円墳が、田代太田古墳。6世紀後半(古墳時代後期)の築造ですが、熊本県などに多い装飾古墳。壁には赤、黒、緑の顔料三色を使って、幾何学模様と図像が描かれ、連続三角文や人・馬・舟・花などが美しく

 

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