静岡県静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の名刹、梅蔭禅寺(ばいいんぜんじ)。「海道一の大親分」として知られた、清水次郎長(しみずのじろちょう)の墓が残る臨済宗の寺。明治26年、74歳で没した次郎長は、清水港の整備や、富士の裾野の開墾をはじめ、英語塾の開設など社会事業に功績を残しています。
次郎長資料館で遺品などを展示
境内には、清水次郎長(本名:山本長五郎)の銅像や、大政、小政、お蝶夫人の墓もあります。
「侠客次郎長の墓」の文字は、幕臣で維新後は明治政府の郵政大臣を勤めた榎本武揚の書によるもの(旧幕府軍の咸臨丸が、清水港で新政府軍艦隊に敗北、乗組員の遺体を清水次郎長が埋葬)。
戦前に建立された侠客の銅像(初代は太平洋戦争時に供出、現在のものは2代目)は、全国的にも珍しいもので、背後の石垣は駿府城を、前の池は駿河湾を表しています。
また、次郎長ゆかりの品々を展示した資料館では、実際に次郎長が使用した大縄銃や喧嘩頭巾、黒駒の勝蔵(くろこまのかつぞう=甲州八代郡上黒駒村=現・笛吹市出身、幕末の侠客、尊王攘夷派の志士)から贈られた水晶玉、お守りの毘沙門天道中差、さらに晩年の次郎長が多くのことを学んだという、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)の書画も展示されています。
山岡鉄舟は、江戸城無血開城を決意した勝海舟の意向を伝えに、駿府に進軍した西郷隆盛に面会、維新後は静岡藩藩政補翼となり、清水次郎長の咸臨丸事件における義侠心に深く感じ入り、次郎長と懇意にしています。
時代劇で、大親分として描かれる清水次郎長ですが、明治維新後は、富士山南麓の開墾事業、清水港からの茶の輸出拡大のための港湾整備、英語教育、済衆医院の開設などにも尽力しています。
次郎長生家(旧高木家住宅)は、300mほど東側の清水区美濃輪町にあるので、時間があれば寄り道を。
梅蔭禅寺 | |
名称 | 梅蔭禅寺/ばいいんぜんじ |
所在地 | 静岡県静岡市清水区南岡町3-8 |
関連HP | 梅蔭禅寺(小松園公式ホームページ) |
電車・バスで | JR清水駅から、静鉄バス久能山下・三保方面行きで10分、梅蔭寺下車、徒歩2分 |
ドライブで | 東名高速道路清水ICから約5km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 梅蔭禅寺 TEL:054-352-0995/FAX:054-351-0335 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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