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旧東海道金谷坂石畳

旧東海道金谷坂石畳

静岡県島田市、東海道金谷宿と日坂宿(にっさかしゅく)との間にある、金谷峠に復元された街道時代の石畳が旧東海道金谷坂石畳(30mは街道時代の石畳が現存)。街道時代の石畳が残る場所は全国的にも数少なく、箱根の石畳が有名ですが、東海道金谷坂にも石畳が残されています。

「平成の道普請」で江戸時代の石畳を復元

街道時代の牧之原台地の土はぬかるみやすく(当時はまだ茶畑もありません)、上り下りする旅人の苦労が絶えなかったとか。
そこで幕府は保全命令を発令し、旅人が歩きやすいようにと文政年間(1818年~1830年)、石が敷き詰められたのです。
国道473号から始まる現在の金谷坂石畳は、地元町民の参加により復元されたもの。
菊川側の菊川坂の復元石畳(旧東海道菊川坂石畳)もあり、あわせて全長約1kmの石畳が続いています。

金谷坂に残る江戸時代の石畳はわずか30mですが、平成3年に地元住民による「平成の道普請(ふしん)」で430mの石畳が見事に復元。
地元の山石7万1000個を「1人1石」というかけ声で運んだもの。
平成13年には「石畳菊坂助郷伝説」と銘打ち菊川坂に山石が敷かれ、611mの石畳が復元されています(菊川坂には江戸時代後期の石畳161mも現存)。

金谷坂の急坂は雨が降ると「青ねば」と呼ぶ粘土質が非常にぬかるみ、旅人は大変難儀をしました。
文政年間(1818年~1830年)に約850mの区間に山石を敷き詰めたものが当時の石畳。
復元した石畳を実際に歩くと意外に歩きづらいのですが、実は山石を使った石畳には大軍の進軍を遅らせるという幕府の深謀があったと想像されます。
杉木立のなか、昔の旅の難儀さを、味わうことができる石畳です。

旧東海道金谷坂石畳
名称 旧東海道金谷坂石畳/きゅうとうかいどうかなやざかいしだたみ
所在地 静岡県島田市坂町
関連HP 島田市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR金谷駅から徒歩10分
ドライブで 新東名高速道路島田金谷ICから約5km
駐車場 石畳茶屋駐車場(6台/無料)、駐車台数が少ないため、長時間の駐車は不可
問い合わせ 島田市博物館課文化財係 TEL:0547-36-7967
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

旧東海道菊川坂石畳

静岡県島田市菊川、東海道の日坂宿(にっさかしゅく)と金谷宿の途中、牧之原台地を越える石畳の道が旧東海道菊川坂石畳。戦国時代の山城、諏訪原城跡から間の宿・菊川宿(きくがわしゅく)の間にある石畳で、全長161mの石畳は江戸時代後期のもの(静岡県

諏訪原城

静岡県島田市金谷、牧之原台地の北端部、標高212m〜220mの台地に築かれた戦国時代の山城が、諏訪原城(すわはらじょう)。高天神城(現・掛川市)攻略を目指す武田勝頼が、天正元年(1573年)、家臣・馬場信春(ばばのぶはる)に命じて築城した城

 

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