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展望台小山城

展望台小山城

静岡県榛原郡吉田町の能満寺山公園にある模擬天守が展望台小山城(てんぼうだいこやまじょう)。かつての武田信玄と徳川家康の攻防の地、小高い能満寺山(のうまんじやま)に建つ城跡。一帯は能満寺山公園として整備されています。今川氏真(いまがわうじざね)築城の山崎の砦がルーツ。

展望台は犬山城をもした模擬天守

永禄11年(1568年)、武田信玄が砦を築き、高天神城攻略のためもあって元亀2年(1571年)に修築して小山城(中世当時は平山城だった)とした場所。
縄張りは武田四天王のひとり、馬場信春(ばばのぶはる)。

近郷一望の展望台となる模擬天守が建つ場所は、かつての三の丸跡。
昭和62年に復元された3層5階の模擬天守は、愛知の犬山城がモデル。
1階・2階が史料展示室、5階部分が展望台となっており、南アルプス、富士山、牧之原台地が一望のもとで、太平洋も望むことができます。

小山城は、当初は今川氏によって築かれた砦があった場所。
東西を睨む東海道沿いの要衝にあたるため、その後、攻防の地となりますが、織田信長と同盟し、徳川家康とも通じた武田信玄は、今川氏真(いまがわうじざね)を破り、駿河を支配。
その後、徳川家康の領地である遠江(とおとうみ=静岡県西部)に侵入し家康の家臣・松平真乗(まつだいらさねのり=大給松平家5代当主)が守る小山砦に入城。
武田信玄は、重臣・馬場信房に命じて元亀2年(1578年)に小山城を築城し、遠江支配の拠点としています。

長篠の戦い後の天正10年(1582年)、徳川家康の甲州攻略の際に落城。
その際に敗北を悟った武田方は自ら火を付けたため廃城となっています。
つまりは中世の城なので、中世には現在のような天守は存在していないので(櫓的なものだったと推測できます)、あくまで展望台としての天守ということに。
むしろ注目は、大手門側にある三重となった三日月型の堀。
お城ファンも注目の場所です。

能満寺山公園内には山本勘助ゆかりち伝わる井戸も残されますが、 山本勘助が仮に実在の人物だとしても、伝承では永禄4年(1561年)、川中島で没しているので、勘助ゆかりというのは後世の作ということに。

能満寺山公園の駐車場は麓の能満寺山門前にあり、能満寺の境内を抜けるようなかたちで山上へと女坂、男坂が続いています。
能満寺には、日本三大ソテツに数えられる巨大なソテツがあるのでお見逃しなく。

展望台小山城
名称 展望台小山城/てんぼうだいこやまじょう
所在地 静岡県榛原郡吉田町片岡2537-1
関連HP 吉田町公式ホームページ
電車・バスで JR藤枝駅南口から静鉄バス相良営業所行きで30分、吉田高校下車、徒歩10分
ドライブで 東名高速道路吉田ICから約2.5km
駐車場 町営駐車場(50台/無料)
問い合わせ 展望台小山城 TEL:0548-32-9286
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

能満寺

静岡県榛原郡吉田町にある弘長2年(1262年)創建の臨済宗妙心寺派の古刹、能満寺。境内には高さ6m、主幹の根回り4.5m、枝数約90、樹齢は推定1000年という大ソテツがあり、国の天然記念物に指定され、「日本三大ソテツ」にも数えられています

 

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