静岡県沼津市戸田(へだ)、駿河湾に突き出す砂嘴の御浜岬先端に建つのが、戸田造船郷土資料博物館。幕末の嘉永7年(1854年)、下田に来航したロシア船「ディアナ号」は、安政東海大地震の津波で座礁。その代替船を建造した戸田が、日本最初の洋式船誕生の地となったことを記念する博物館です。
ロシアの代用軍艦「ヘダ号」を建造した歴史を今に伝える
ロシア船「ディアナ号」が日本に来航したのは、艦長エフィム・プチャーチンに日露和親条約を締結する使命があったため。
イギリス軍が極東のロシア軍を攻撃するため艦隊を差し向けたという情報が入るなかで、長崎で外交交渉しますが、進展がなく、「ディアナ号」以外の3隻は、イギリス艦隊との戦闘に備えるため沿海州へと向かいます。
「ディアナ号」はその後、単艦で箱館に入港しますが、交渉を拒否されたため、大坂に向かいますが、大坂・天保山沖で大坂奉行から伊豆・下田に向かうようにいわれ、嘉永7年10月14日(1854年12月3日)、下田に入港。
幕府との交渉開始直後の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)、安政東海地震が発生し、その津波で「ディアナ号」も大破してしまいます。
戸田湾はクリミア戦争で英仏と戦うロシアにとっては格好の隠れ家にもなるということから、「ディアナ号」は応急修理をすると修理地と決めた戸田へ向かいますが、安政元年11月27日(1855年1月15日)、宮島村(現・富士市)沖で強い風雨を受けて沈没。
乗組員は救助されますが、船を完全に失ってしまいます。
遭難した乗組員を帰国させるため、幕府は「ディアナ号」(Диана)の船内から持ち出されたスクーナー型帆船の図面を元に設計図を作成。
ロシア語からオランダ語、そして日本語に訳して会話を行ない、100日ほどで洋式帆船「ヘダ号」(87t、50人乗り2本マスト)を完成させています。
戸田造船郷土資料博物館の館内には「ディアナ号」と、海軍士官アレクサンドル・モジャイスキーと戸田の船大工・上田寅吉(後の横須賀造船所の初代大工士・所長)ら7人の船大工棟梁、近在の150人ほどの船大工の協力によって建造された、日本初の本格的洋式帆船(ディアナ号の代替船)「ヘダ号」の模型や、当時の設計図、艦長エフィム・プチャーチンの遺品などが展示されています。
「ヘダ号」と名付けられた日本初の本格的洋式帆船に乗船したディアナ号の乗組員たちは、イギリス軍艦の追跡を巧みにかわして7ヶ月後にロシアの首都ペテルブルグに帰還。
19世紀半ばの世界情勢は、伊豆の小さな村にも大きな影響を与えていたことにも注目を。
また、徳川幕府は、技術導入の成果として、文久元年(1861年)、洋式蒸気軍艦「千代田形」の建造に着手しています(船体設計は長崎の海軍伝習所出身の技術者が担当し、機関は長崎製鉄所で製作、船体工事は戸田村等で洋式船の建造に従事した人材を配置)。
戸田造船郷土資料博物館に収蔵展示される戸田の船大工・石原藤蔵が描いた「ヘダ号」設計図(長さの単位をフィートから尺貫法に変換)、大工道具、ディアナ号模型、ヘダ号模型は「『近代技術導入事始め』海防を目的とした近代黎明期の技術導入の歩みを物語る近代化産業遺産群」として韮山反射炉などとともに、経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。
また戸田造船郷土資料博物館1階部分には、駿河湾深海生物館も併設。
駿河湾に棲息する深海魚、約300種1000点の標本を展示しています。
戸田造船郷土資料博物館 | |
名称 | 戸田造船郷土資料博物館/へだぞうせんきょうどしりょうはくぶつかん |
所在地 | 静岡県沼津市戸田2710-1 |
関連HP | 沼津市公式ホームページ |
ドライブで | 伊豆縦貫自動車道長岡ICから約26km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 戸田造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館 TEL:0558-94-2384/FAX:0558-94-2384 |
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