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西来院

西来院

正長元年(1428年)、月窓義運禅師(げっそうぎうんぜんじ)が浜松に開山した曹洞宗の寺、西来院(せいらいいん)。本尊は釈迦牟尼仏。境内には徳川家康の正室・築山御前(つきやまごぜん=瀬名姫)の廟堂(月窟廟)、家康の異父弟・松平康俊(まつだいらやすとし)、江戸時代の浜松の女流歌人・杉浦真崎の墓もあります。

徳川家康の正室・築山御前の墓がある

築山御前(築山殿/つきやまどの)は、天正7年(1579年)、佐鳴湖(さなるこ)の岸の小藪(太刀洗の池)で、家康の家臣の手にかかり悲劇的な最後を遂げています。

築山御前は、今川氏の重臣・関口親永(せきぐちちかなが)の娘(今川義元の姪)。
その出身地・駿州瀬名(現・静岡市瀬名町)から瀬名姫とも呼ばれています。

今川氏の人質で駿府在住時代の松平元信(後の徳川家康)に嫁ぎ、長男・信康、長女・亀姫を出産。
岡崎城の築山御殿に住んだことから築山御前(築山殿)と呼ばれています。

家康との間に生まれた、長男・松平信康の正室である徳姫(織田信長の娘)は、父・信長に、甲斐の武田勝頼に内通した嫌疑など築山殿と信康の罪を訴える十二ヶ条の訴状を送ります。
その結果、築山御前は、天正7年(1579年)、岡崎城から浜松城に向かう途中、8月29日に小藪村で家康の家臣・野中重政に殺害されています。
松平信康も9月15日に幽閉先の二俣城で切腹。

築山御前の廟堂・月窟廟(げっくつびょう)は浜松空襲で焼失していますが、昭和53年の400年忌に復元されています。
築山御前の廟堂前にある石灯籠は、野中重政の孫の寄進と伝えられています。

杉浦真崎は、浜松諏訪社の神官で遠江国学の祖、杉浦国頭(すぎうらくにあきら)の妻。
江戸滞在中に和歌を学び、荷田春満(かだのあずままろ)にも和歌の指導を受けています。
その荷田春満の姪である真崎を妻に。
晩年は夫妻で浜松に戻り、若き賀茂真淵(かものまぶち)も真崎の指導を受けています。
真崎は宝歴4年(1754年)2月29日没して西来院に葬られました。

参道にある地蔵堂には江戸時代の六地蔵尊が並び、往時の地蔵信仰を今に伝えています。
ゴールデンウィークに咲く藤も見事。

西来院
名称 西来院/せいらいいん Seiraiin Temple
所在地 静岡県浜松市中区広沢2-10-1
関連HP 浜松市公式ホームページ
電車・バスで JR浜松駅から遠鉄バスで6分、鹿谷町南下車、徒歩8分。または、遠州鉄道鉄道線遠州病院駅から徒歩25分
ドライブで 東名高速道路三方原スマートICから約6.9km。浜松ICから約9km
駐車場 参拝者専用駐車場(無料)を利用
問い合わせ 西来院 TEL:053-452-7584
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

太刀洗の池跡

2018年3月3日

 

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