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普済寺

普済寺

静岡県浜松市中区広沢、遠江(とおとうみ=静岡県西部)における曹洞宗(そうとうしゅう)の拠点となる寺が、普済寺(ふさいじ)。徳川家康ゆかりの寺でもあり、徳川家康の遠江侵攻の際には寺に陣が置かれています。日本三大稲荷に数えられる妙厳寺(豊川稲荷)は普済寺の末寺。

遠江侵攻の際、徳川家康は普済寺に陣を張る

西来院(広沢)、宗源院(蜆塚)、天林寺(下池川)、宿蘆寺(庄内)など浜松周辺の曹洞宗の寺の多くは普済寺の末寺です。
寺伝によれば13世紀、中国・宋で学んだ寒厳義尹(かんがんぎいん)が開山したと伝えられる寒巌派の古刹で、肥後国(熊本県)大慈寺の華蔵義曇(けぞうぎどん)が正長元年(1428年)、東海の禅堂として本能山隋縁寺を寺島村(現・寺島町)に建立した古刹。
開基は遠江国引馬荘(現在の浜松市一帯)を領有した吉良氏です。

のちに現寺地に移転し、広沢山普済寺と山号を改めています。
徳川家康ゆかりの寺でもあり、徳川家康の遠江侵攻の際には寺に陣が置かれ、元亀3年12月22日(1573年1月25日)、武田信玄との三方ヶ原の戦いの際には兵火により焼失。
この兵火は、家康が窮地に陥った際、浜松城が炎上した見せかけ、武田軍を犀ヶ崖(さいががけ)とおびき寄せるために徳川軍が放ったとも伝えられ、天正10年(1582年)、徳川家康が堂宇を再建しています。

太平洋戦争の空襲で焼失し、現在の堂宇戦後の再建。
総門は、北区細江町にあった気賀近藤家の陣屋門を移築したもの。
境内の北山稲荷は、家康も信仰した社で、浜松城の千代吉稲荷、江戸城の千代田稲荷、さらには豊川稲荷(円福山豊川閣妙厳寺)のルーツともいわれ、妙厳寺は普済寺の末寺です。

徳川家康ゆかりの寺ということで、浜松市の「家康の散歩道」にも組み込まれています。

普済寺
名称 普済寺/ふさいじ
所在地 静岡県浜松市中区広沢1-2-1
電車・バスで JR浜松駅から遠州鉄道バスで10分、鹿谷町南下車、徒歩5分
駐車場 なし
問い合わせ 普済寺 TEL:053-452-1541
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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