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掛塚灯台

掛塚灯台

静岡県磐田市の天竜川の河口に建つ灯台が掛塚灯台。もともとは、明治13年、 旧幕臣の荒井信敬(あらいしんけい)が私財を投じて改心灯台を建設したのが始まり。明治30年3月25日に官製の掛塚灯台が初点灯しています。平成14年に海岸侵食と地震対策で竜洋海洋公園南側に移設されています。現存する明治時代の貴重な灯台です。

明治時代の灯台が現役で活躍

徳川家御用人・荒井治右衛門の養子の荒井信敬は、品川沖で榎本武揚(えのもとたけあき)が率いる旧幕府脱走艦隊の西洋式帆船「美加保丸」(みかほまる)に乗り込み、蝦夷地へと向かいますが、慶応4年8月26日(1868年10月11日)、銚子沖で遭難し黒生海岸(くろはえかいがん)に座礁。
乗船者13人が水死し、新政府軍に投降した者の一部は処刑されていますが、かろうじて荒井信敬は助かっています。

明治維新後、荒井信敬は、山名郡浅羽村(現・袋井市)に移住し、他の士族同様に茶畑を開墾。
明治13年、豊田郡駒場村(現・磐田市駒場)に移ってやはり開墾、農業に従事しますが、天竜川河口沖の遠州灘での船の難破に心を痛め(その背景には自身の難破、生還があったと推測できます)、4尺(7m)の木造高灯籠式灯台を完成させます。

灯台の建設、運営費用を捻出するため、酒代を倹約し、底の丸い「改心棒」と名づけた杯を使用し、1日1杯しか飲まなかったため「改心灯台」と呼ばれるようになったのだとか(地元では駒場灯台と通称)。

明治30年3月25日に初点灯の近代的な灯台は、天竜川河口の東1kmに建設。
円筒形で、中央の帯までを鉄筋コンクリート造の基礎として、その上に鉄骨造の灯塔を載せるという異色のスタイルです。
波の荒い遠州灘に合わせて出入口は5.11mの高さに設けられ、鉄製の梯子を使って灯台に入る仕組みになっています。

荒波と強風が押し寄せる砂浜に建っていたため、浸食と地震による倒壊が危ぶまれるため、竜洋海洋公園内に移設され、平成14年3月12日に初点灯しています(灯台自体は明治時代のままで、灯台の周囲に設けられたコンクリート囲いの障壁も掘り出して再利用しています)。

磐田市駒場の海岸沿いに旧掛塚灯台跡があり、「荒井信敬翁之壽碑」が立っています。

ちなみに、国内にある4700基の灯台のうち、明治時代の灯台が現役なのは60基ほど。
静岡県内では神子元島灯台(明治3年11月初点灯)、御前埼灯台(明治7年5月初点灯)に次いで古い灯台です。

掛塚灯台
名称 掛塚灯台/かけづかとうだい
所在地 静岡県磐田市駒場
関連HP 磐田市観光協会公式ホームページ
ドライブで 東名高速道路浜松ICから約13km
駐車場 竜洋海岸駐車場を利用
問い合わせ 磐田市観光協会 TEL:0538-33-1222
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

天竜川

諏訪湖の唯一の水の出口、長野県岡谷市の釜口水門を源流に、伊那谷を南下し、愛知・静岡県境を流れて静岡県浜松市と磐田市の境で遠州灘(太平洋)に注ぐ長大な河川が天竜川(てんりゅうがわ)。幹川流路延長は213kmで、日本第9位、流域面積5090平方

 

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