静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の境、足柄古道(箱根越え以前の旧東海道)の足柄峠にある中世の城跡が足柄城(城があるのは小山町側)。築城年代は定かでなく、駿河(現・駿東郡)の土豪・大森氏が築き、その後、小田原城を本拠とする北条氏綱、北条氏康が駿河、甲斐を睨む拠点として、整備拡充しています。
小田原城の支城として駿河・甲斐を睨む
「勝って兜の緒を締めよ」の遺言で知られる北条氏綱は、天文5年(1536年)頃、駿河半国にまで領地を拡大し、駿河・相模国境の東海道の要衝を守備するため、足柄城を整備。
さらに天文24年(1555年)、北条氏綱の子、北条氏康(ほうじょううじやす)も城の再整備を行なっています。
その前年、天文23年(1554年)には、武田信玄、今川義元との間に甲相駿三国同盟を結んでいますが、防備にぬかりはなかったことがわかります。
永禄11年(1568年)、武田信玄の駿河侵攻で、甲相駿三国同盟が破棄されると、さらに城の重要性が高まり、堅固な城に拡充されています。
豊臣政権下では、豊臣秀吉との緊張関係から、天正15年(1587年)、北条氏光を城番とし大規模な改修を実施。
天正18年(1590年)の秀吉の小田原攻めが勃発すると、足柄城を守備した北条氏光は山中城(静岡県三島市)落城の報を受け小田原城へと退却。
足柄城は、井伊直政の攻撃を受け、本格的な防戦なく、落城しています。
現在は、5つの曲輪、堀切などの遺構などが現存し、足柄峠を起点に、本丸(一の郭)から五の郭まで、全長600mの散策路が整備され、本丸(一の郭)からは富士山を眺望。
富士ビュースポットとしても知られています。
足柄城 | |
名称 | 足柄城/あしがらじょう |
所在地 | 静岡県駿東郡小山町竹之下 |
関連HP | 小山町公式ホームページ |
ドライブで | 東名高速道路足柄スマートICから約7km |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 小山町観光協会 TEL:0550-76-5000 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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