静岡県熱海市にある曹洞宗の寺、福泉寺(ふくせんじ)。湯河原温泉を流れる千歳川の南岸にあり、川を渡れば神奈川県湯河原町で、玄関駅はJR湯河原駅になります。その福泉寺に安置されるのが、尾張徳川家ゆかりという首大仏と呼ばれる釈迦如来像です。
尾張藩主・徳川光友が焼かせたと伝わる陶製の釈迦如来像
尾張藩の初代藩主で、最初の名古屋城主となった徳川義直(とくがわよしなお=徳川家康の九男、尾張徳川家の祖)が鷹狩りの帰路、道端で行水をしていた体が不自由な父親を、その娘が盥(たらい)ごと奥へと連れ去ったのを見て、その機転に感動し(その体力から立派な跡継ぎを産むだろうと考えたとも)、娘に御殿奉公を命じて側室とし、娘は2代藩主 ・徳川光友(とくがわみつとも)を宿して、命を落とします。
徳川光友は、自分を生んで絶命した母の菩薩を供養するため、瀬戸焼の陶製大仏を造り、名古屋城内に安置しますが、その後幾多の変遷を経て、戦後に福泉寺に安置されたと伝えられています。
ただし、史実では、徳川光友を生んだのは徳川義直の側室・お尉(おじょう=歓喜院)。
お尉(歓喜院)の墓は大森寺(名古屋市守山区)にありますが、寺の記録では寛永11年(1634年)没。
徳川光友は寛永2年(1625年)の生まれなので、出産時に死んだわけではなく、9歳ごろに没したというのが史実です。
福泉寺にある首大仏の由来では、陳元贇(ちんげんぴん)が作陶したことになっていますが、陳元贇は、寛永15年(1638年)に明の混乱を避けて来日した漢学者。
徳川義直の知遇で尾張に来た際に、作陶を嗜(たしな)み、陳元贇が焼いたとすれば(名城公園に陳元贇の御深井焼窯跡があります)、年代は一致します。
しかも肉厚のヘラ耳、肉髻(にっけい=頭の上の部分)の盛り上がりなどなど、唐様(からよう)の雰囲気も十分に伝えるエキゾチックさは、陳元贇作を裏付けているのかもしれません。
明治8年に再建された本堂は、熱海市内では唯一の茅葺き屋根です。
福泉寺・首大仏 | |
名称 | 福泉寺・首大仏/ふくせんじ・くびだいぶつ |
所在地 | 静岡県熱海市泉191 |
関連HP | 湯河原温泉公式観光サイト |
電車・バスで | JR湯河原駅から奥湯河原行バス、または、不動滝行バスで泉入口下車、徒歩2分 |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 福泉寺 TEL:0465-62-2354 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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