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天白磐座遺跡

天白磐座遺跡

静岡県浜松市北区引佐町井伊谷、渭伊神社の北、神宮寺川沿いにある古代の祭祀遺跡が、天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)。磐座(いわくら)とは古代の巨石信仰で、神が降臨する地、神の拠り所のこと。神を意識させる地として、磐座ファン必踏の地になっています。

奥浜名の巨石群は、古代の祭祀遺跡だった!

森の中に巨岩(チャートの露頭)が東(高さ7.4m)、西(高さ5.2m)、北(高さ2.7m)の3つが絶妙のバランスで並び、凛とした不思議な空間が神秘的な雰囲気を醸し出しています。

「沖ノ島磐座群には及ばないまでも、熊野の神倉山のゴトビキ岩、上州の榛名神社の磐座、大和の大神神社の磐座群に匹敵するもの」(野本寛一『神と自然の景観論』)。

古代の祭祀遺跡が発見されたのは、昭和59年。
地元の引佐町歴史と文化を守る会の会員が磐座だと推測し、巨石周辺の下草や低木を払って手入れをしたことがきっかけで、昭和63年に引佐町の遺跡分布調査が行なわれ、土器の破片を採取して古代遺跡であることが判明。

平成元年の発掘調査で、古墳時代の土器の破片多数、滑石製勾玉、鉄矛、鉄刀、鉄鏃、奈良時代の土馬、須恵器、平安時代に埋められた渥美半島(愛知県/渥美窯)で焼成された経筒外容器、和鏡などが出土し、4世紀(古墳時代)に始まり、13世紀(鎌倉時代)まで続いた祭祀場だったことが確認されたのです。
とくに最大の東(高さ7.4m)にある巨岩の西側直下から出土する遺物が多く、古墳時代の祭祀場だったことが明らかになりました。

井伊家の氏神、渭伊神社(いいじんじゃ)の、本殿裏の薬師山(標高41.75m)にあり、神社とは密接な関係にあるので、平成4年、渭伊神社境内遺跡(いいじんじゃけいだいいせき)として静岡県の史跡に指定。
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』(平成29年)放送で、訪れる人も増えましたが、今では再び静かさを取り戻しています。

神宮川の蛇行地点で、天白磐座遺跡の三方を神宮寺川が囲むことから、水霊を祀る祭祀の場だと推測されていますが、三岳山(みたけやま=山岳信仰の地で御嶽・みたけと称されていました)を遥拝した可能性もあります。

渭伊神社は、『日本三代実録』の貞観8年(866年)の項に「蟾渭神」(せんいしん)と記され、蟾はヒキガエルのことで、清冽な水を祭祀対象として聖水祭祀された神であるため、天白磐座遺跡がその聖なる地だったのかもしれません(ただし、渭伊神社と天白磐座遺跡の関係性は今も諸説あり、定かでありません)。

アプローチは、渭伊神社本殿から左手奥へと進むので(表示があります)、まずは渭伊神社に参拝を。

最大の東岩
西岩
天白磐座遺跡
名称 天白磐座遺跡/てんぱくいわくらいせき
所在地 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷
電車・バスで JR浜松駅から遠鉄バス奥山行きバスで53分、北神下車、徒歩5分
ドライブで 新東名高速道路浜松いなさICから約8km
駐車場 浜松市地域遺産センター駐車場を利用
問い合わせ 奥浜名湖観光協会 TEL:053-522-4720
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

渭伊神社

静岡県浜松市北区引佐町、井伊家発祥の井伊谷(いいのや)にある古社が、渭伊神社(いいじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される式内社で、社殿後背の薬師山には巨石が並ぶ、古代から中世の祭祀遺跡である天白磐座遺跡(てんぱくいわくらい

 

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