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工藤祐経の墓

工藤祐経の墓

静岡県富士宮市上井出、白糸の滝・音止の滝の東にあるのが、工藤祐経の墓(くどうすけつねのはか)。京の都にも精通することから源頼朝に重用された工藤祐経ですが、建久4年(1193年)、富士の裾野で大規模な巻狩りの際、曾我兄弟の仇討ちにより討たれています。

曾我兄弟の仇討ちにより討たれた工藤祐経の墓

巻狩りの最終日の建久4年5月28日(1193年6月28日)深夜、手越宿と黄瀬川宿の遊女らと遊興にふけっている際、工藤祐経を父の敵(かたき)とする兄の曾我十郎祐成、弟の曾我五郎時致が富士野の神野の御旅館(ごりょかん)に押し入り、兄弟によって討たれています。

曾我兄弟の父・河津祐泰(かわづすけやす=父・伊東祐親から河津荘を相続し河津氏を名乗る)が、親族の工藤祐経(伊東荘を相続)から祐経上洛中に伊東荘を奪うなどし、さらに工藤祐経に嫁がせていた娘の万劫御前も離婚させたことから、工藤祐経から恨みをかっていました。
伊豆の狩り場で狩猟中の伊東祐親・河津祐泰を襲撃、伊東祐親は矢を逃れたものの、河津祐泰には当たって絶命。
河津祐泰の妻は、5歳の十郎(祐成)、3歳の五郎(時致)を連れて相模国・曾我荘(現在の神奈川県小田原市曽我)を領有する曾我祐信(そがすけのぶ)と再婚していました。

こうした因縁から17年ほど経った後に、巻狩り最終日の暗殺事件へと発展するのです。

これが有名な「曾我兄弟の仇討ち」で、『吾妻鏡』28日条には「曾我十郎祐成・同五郎時致、富士野の神野の御旅館に推參致し工藤左衛門尉祐経を殺戮す」と記されています。

乱入した曾我兄弟と源頼朝の御家人の間で戦闘となり、兄の曾我十郎祐成のほか御家人側にも多くの死傷者が出ています。
結果、弟は梟首となりますが、頼朝の前でも曾我五郎時致が堂々とした振る舞いだったこと、仇討であったことから、曾我荘の年貢を免除し、曾我兄弟の菩提を弔うように命じています。

富士の巻狩りの際には、曾我兄弟の義父・曾我祐信も御家人として参加。
それでもこの仇討ち事件には関与していないとされ、自領の曾我に戻り、曾我兄弟の菩提を弔っています。

暗殺された工藤祐経は、巻狩りの際に陣所のあったとされる地に、墓が建立されています。
これが今に伝わる工藤祐経の墓です。
社の中にある石碑には、「工藤左衛門尉祐経塚 文化拾三年八月日」の銘があり、江戸時代後期、文化13年(1816年)の建立ということがわかるので、あくまでも伝・工藤祐経の墓ということになります。

広重『曽我物語図会』
工藤祐経の墓
名称 工藤祐経の墓/くどうすけつねのはか
所在地 静岡県富士宮市上井出
関連HP 富士宮市観光協会公式ホームページ
ドライブで 新東名高速道路新富士ICから約17km。または、東名高速道路富士ICから約19km
駐車場 あり/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

白糸の滝

断崖から白い絹糸を垂らしたように流れ落ちる優美なさまから、名が付けられたのが静岡県富士宮市の白糸の滝。高さ20m、幅121mで、富士山麓では最大の滝で、滝壺近くまで下りることも可能。川の水は平均水温11度と冷たく、夏でも周囲はひんやりと涼し

音止の滝

国道139号近くにあり、源頼朝の富士の巻狩りの際に曾我兄弟が工藤祐経(くどうすけつね)の仇討ちを密談。滝の音が消えるように念じたら、その音が見事に止まった、という伝説が残されおり、それが滝名の由来に。すさまじい轟音とともに、勢いよく流れ落ち

曾我兄弟の隠れ岩

静岡県富士宮市、白糸の滝、音止の滝の東にある溶岩の巨岩が、曾我兄弟の隠れ岩。日本三大仇討ちのひとつである「曾我兄弟の仇討ち」で、仇討ち直前に兄の曾我十郎祐成、弟の曾我五郎時致が身を隠し、敵(かたき)である工藤祐経(くどうすけつね)を狙ってい

工藤祐経の墓

静岡県富士宮市上井出、白糸の滝・音止の滝の東にあるのが、工藤祐経の墓(くどうすけつねのはか)。京の都にも精通することから源頼朝に重用された工藤祐経ですが、建久4年(1193年)、富士の裾野で大規模な巻狩りの際、曾我兄弟の仇討ちにより討たれて

 

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