見沼通船堀東縁
利根川と荒川の間の農村地帯(天領)で産する米を、江戸幕府の御米蔵(浅草御蔵)へと運ぶために開削された江戸時代の閘門式の運河である見沼通船堀のうち、芝川と見沼代用水東縁を結ぶ部分、つまりは運河の東端部が見沼通船堀東縁(みぬ…
利根川と荒川の間の農村地帯(天領)で産する米を、江戸幕府の御米蔵(浅草御蔵)へと運ぶために開削された江戸時代の閘門式の運河である見沼通船堀のうち、芝川と見沼代用水東縁を結ぶ部分、つまりは運河の東端部が見沼通船堀東縁(みぬ…
かつてのどかな田園風景とが広がり、見沼通船堀の舟運で栄えた大間木村(おおまぎむら=現・さいたま市緑区大間木)の鎮守社が附島氷川女体神社(つきしまひかわにょたいじんしゃ)。附島(つきしま)という地名は、かつて江戸湾(東京湾…
さいたま市緑区、見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)に並行して広がる公園。駐車場はありませんが、JR武蔵野線の東浦和駅からも徒歩5分くらいなので、散策途中の寄り道には絶好の地。とくにここ…
川口市の見沼通船堀東縁の東側に位置する大きな富士塚が木曽呂の富士塚(きぞろのふじづか)。東京周辺に4ヶ所ある国の史跡になった貴重な富士塚のひとつ。寛政12年(1800年)に富士講の一派である丸参講の信者である蓮見知重の発…