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第33回まいづる細川幽斎田辺城まつり|2024

まいづる細川幽斎田辺城まつり

2024年5月26日(日)、京都府舞鶴市の田辺城(舞鶴公園)で『第33回まいづる細川幽斎田辺城まつり』を開催。関ヶ原の戦い直前、細川幽斎(ほそかわゆうさい=細川藤孝)が妻・ガラシャ夫人の人質自害後に、田辺城に籠城した一件を祭りにしたもので、関ヶ原の合戦後の凱旋でフィナーレとなります。

関ヶ原の合戦の前哨戦、田辺城の籠城を描いた祭り

「第一章 いざ籠城」(城門前) は、慶長5年(1600年)7月(関が原の戦いの2ヶ月前)、石田三成軍が兵を挙げ、人質として幽閉されていたガラシャ夫人が自ら屋敷に火を付けて自害したこと、石田三成軍1万5000の兵が舞鶴を目指して進軍していることを伝令が伝えるシーンからスタートします。
その結果、各地から武士が馳せ集まるまでの様子を芝居仕立てで説明していきます。
続く「寄進米みこし」(城門前)も石田三成軍迫るの報せを受けた後、町衆が米を寄進した故事を基にしたイベントです。

「第二章 心種園小芝居 古今伝授」(公園あやめ池)は、わずか500の兵で籠城するも、2ヶ月間にわたってこの地に石田三成軍1万5000を釘付けにし、その結果、関ヶ原の合戦を東軍有利に導いたことを紹介する下りです。

細川幽斎が古今伝授の唯一の継承者であったため、朝廷は使者を田辺城へと派遣し、和睦を勧告していますが、あやめ池の中島の松を古今伝授の松に見立て、和睦のシーンを再現しています。

「第三章 御城下大行列 総登城」(城門前)は、籠城戦、さらに関ヶ原の合戦後、細川幽斎が城下を凱旋行列するという設定。
町内太鼓、子供みこし、チビッコ武者、鎧武者など総勢1000名余の行列が城門前を出発、西舞鶴駅から商店街を回って、城門へと戻ります。   

第33回まいづる細川幽斎田辺城まつり|2024
開催日時 2024年5月26日(日)
所在地 京都府舞鶴市南田辺15-22
場所 舞鶴公園
関連HP まいづる細川幽斎田辺城まつり公式ホームページ
電車・バスで JR舞鶴線・北近畿タンゴ鉄道宮津線西舞鶴駅から徒歩5分
ドライブで 舞鶴自動車道舞鶴西ICから約5.6kmで市営南田辺駐車場
問い合わせ まいづる細川幽斎田辺城まつり実行委員会 TEL:0773-75-0933
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

舞鶴公園(田辺城跡)

天正8年(1580年)、織田信長の命で一色氏を滅ぼし、丹後を平定した長岡藤孝(後の細川藤孝)・忠興親子が、一色氏の居城跡に築城した城が田辺城。明治6年に廃城となり、その跡地に舞鶴公園が整備されています。舞鶴公園の名は、田辺城の別名、舞鶴城に

田辺城資料館

京都府舞鶴市、田辺城(舞鶴城)の平成4年に復元された城門(大手門)2階が田辺城資料館になっています。細川幽斎を中心とした京極家、牧野家の田辺藩歴代藩主や、旧城下町模型などで田辺城下町の歴史を紹介。復元された大手門は本来の位置ではなく外堀のあ

 

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