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並木寄進碑(日光山内)

並木寄進碑(日光山内)

日光東照宮への参詣道として江戸時代初期に整備された街道が日光杉並木街道。杉の植栽は徳川譜代の家臣である松平正綱・正信父子が行なっていますが、日光山内、神橋近くに立つ並木寄進碑は、慶安元年(1648年)、杉の植え付けを終え日光東照宮に寄進したことを記念して建立されたもの。

松平正綱が杉並木の寄進を記念して建立した碑

日光神橋付近(山内)と日光街道の19番目の宿駅(宿場町)の大沢宿(栃木県日光市大沢町)、さらに会津西街道の大桑(日光市大桑)、日光例幣使街道の小倉(日光市小倉)の合計4ヶ所に建立されています。
杉が植栽された3街道(日光街道、会津西街道、日光例幣使街道)の日光神領の境界(杉並木の基点である日光山内と終点)に建立されたので、「境石」とも呼ばれています。

ちなみに、日光の杉並木は寛永2年(1625年)~慶安元年(1648年)に、松平正綱、正信父子の手により日光街道の日光~大沢間16.52km、日光例幣使街道の今市~小倉間13.17km 、会津西街道の今市~大桑間5.72kmに植栽されたもので、それ以外の区間は後の延長です。

松平正綱(まつだいらまさつな/相模国玉縄藩初代藩主)は、板倉重昌(いたくらしげまさ/三河深溝藩主)、秋元泰朝(あきもとやすとも/日光東照宮造営の総奉行)と並んで駿府城での家康の近習出頭人を務めた幕臣。
24年をかけて杉並木を整備し、完成を記念する石碑の建立を志し、林羅山に碑銘を依頼したものの、完成を見ることなく、慶安元年6月22日(1648年8月10日)没しています。
その子の松平正信も日光東照宮の石垣修理奉行を務めるなど幕府の要職を担っていました。

「日光杉並木街道 附 並木寄進碑」として日本で唯一の特別史跡・特別天然記念物の二重指定を受けています。
街道両側に街道両側に2万4000本が植栽されたと伝えられますが、栃木県の調べでは1万2600本余りが現存しているのだとか。
自然災害や生育環境の悪化などにより並木杉は徐々に減少しているため、栃木県では「日光杉並木オーナー制度」も活用し、保護育成に務めています。

名称 並木寄進碑(日光山内)/なみききしんひ(にっこうさんない)
所在地 栃木県日光市山内
電車・バスで 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで、神橋もしくは西参道下車、徒歩5~10分
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約4km
駐車場 100台/有料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日光杉並木街道

日光杉並木街道は、徳川家康が東照大権現(神仏習合の神)として眠る日光東照宮の参道(栃木県日光市)。徳川家康の家臣、松平正綱が寛永2年(1625年)頃から20年の歳月をかけて寄進した杉並木。植栽された杉は約20万本と推定され、現在も上今市駅近

 

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