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新1000札裏面の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、どこから見た富士山!?

富嶽三十六景 神奈川沖浪裏

2024年7月3日(水)に発行される新1000円札の表面は北里柴三郎ですが、裏面は葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』(冨嶽三十六景)全46図中の1図、「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)。実際に、どこから富士山を眺めたのか、富士山の残雪の形状などから、その場所を特定します。

波に翻弄される3艘の船は「押送船」

葛飾北斎『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』〈The Great Wave〉

木版多色刷で24.6cm×36.5cmの横大判錦絵は、葛飾北斎が天保元年(1830年)〜天保3年(1832年)頃に制作したもの。
「グレート・ウェーヴ」(The Great Wave=英語圏での通称)として世界的にも有名な1枚で、ポスト印象派の画家・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)は弟テオに与えた手紙の中で激賞し(19世紀後半のパリは「ジャポニスム」が席巻、ゴッホも古美術商サミュエル・ビングの店で浮世絵を購入)、作曲家・ドビッシーはこの「神奈川沖浪裏」の強烈な印象から交響曲『ラ・メール(海)』を作曲したことでも知られています。
経済産業省も「江戸時代の浮世絵師葛飾北斎の代表作で知名度も高く、世界の芸術家に影響を与えた作品」というのが裏面の図柄の選定理由としています。

波に翻弄される3艘の船は「押送船」(おしおくりぶね、おしょくりぶね)で、伊豆・湘南や安房産の鮮魚や野菜を、日本橋などの市場に運んだ舟です。
細長い船体と鋭くとがった船首を持つのが特徴で、全長38尺5寸(11.7m)、幅8尺2寸(2.5m)、深さ3尺(0.9m)ほど。
3本の着脱式のマストと7丁の艪を備え、常に櫓を漕いで、江戸湾奥の日本橋魚河岸(にほんばしうおがし)などを目指したのです(速達性が重視されたことから浦賀番所で検査を受けない特権も有していました)。

絵柄的には舳先が左に向いているので、荷を送り終えた帰りの船ということに。

海ほたると本牧を結ぶ線上が「神奈川沖」のポイント

お台場あたりから眺めると基部が愛鷹山に隠れてしまう

さてさて、北斎が描いた「神奈川沖浪裏」の構図ですが、神奈川というのは、現在の横浜港のあたりです。
ベースとなっているのは、文化年間の初め(1804年〜1807年)に描かれた『賀奈川沖本杢之図』で、こちらは富士山ではなく、切り立った断崖が描かれています。
断崖の形状から本牧(ほんもく)の岬(神奈川県横浜市)沖だと推測されることから、「神奈川沖浪裏」も本牧沖と考えるのがセオリーです。

同じ東京湾でも東京港に近づくにつれ、愛鷹山(あしたかやま)が富士山の基部を隠すようになります(お台場では愛鷹山の上に富士山という構図)。

逆に南房総などからだと、残雪の様子、山腹に巨大な口を開ける宝永火口の位置などが右にずれてしまい、もう少し緯度の高い場所だということがわかります。

千葉県の富津岬からの富士山と比較しても、少し右にずれるので、海ほたるあたりがにている構図となり、海ほたると富士山を結んだ延長線上ということになります。
海ほたると富士山を結んだ延長線にちょうど位置するのが本牧沖。

一説には千葉県木更津方面から江戸湾を見て描いたとの説もありますが、『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』ができる30年ほど前に『賀奈川沖本杢之図』を描いていることからも、本牧沖で目の当たりにした情景と考えることができるでしょう。

じっさいにドンピシャの場所は、東京港に入港する東海汽船の大型客船やジェット船から眺めるしかありませんが、酷似する景観が海ほたるで得られるので、海ほたる、もしくは本牧ふ頭でお茶を濁すのがいいでしょう。

雪の溶け方がほぼ一致
本牧ふ頭からの富士山(微妙に角度が異なりますが、ほぼ一致)
新1000札裏面の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、どこから見た富士山!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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