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本物の豊臣時代の大坂城本丸石垣を公開する「豊臣石垣館」オープン

豊臣石垣館

現在「大阪城天守閣」が再建される大坂城は、豊臣時代の石垣、天守と、大坂の陣で破壊され、その上に築かれた徳川時代の天守という2層構造になっています。かつての豊臣時代の大坂城本丸の石垣を掘り起こして一般公開するのが2025年4月1日(火)オープンの「豊臣石垣館」です。

地下に眠るのは、豊臣期大坂城の詰ノ丸石垣と判明

天正11年(1583年)〜慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が築いた大坂城は、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で灰燼に帰しています。
その後、豊臣大坂城を凌ぐかたちで、元和6年(1620年)〜寛永6年(1629年)、2代将軍・徳川秀忠が大坂城を再建しています。
そのため、現存する石垣などの遺構は徳川時代のもの。

現在の大阪城天守閣は、昭和6年に建てられた初となる復興天守で、『大坂夏の陣図屏風絵』(黒田屏風)などを参考に再建したコンクリート天守で、国の登録有形文化財になっています。
ただし、豊臣時代の史料が乏しい時代の再建のため、あくまで各地の桃山天守を研究した成果が生かされているだけで、復元とはいえません。

大阪城公園内に現存する大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形などの遺構は、すべて徳川時代の建築物。

徳川秀忠は、大坂城を再建するにあたり、豊臣大坂城の跡を破却して盛り土した上に天守を建てているので、本丸でも豊臣時代の遺構(詰ノ丸石垣)は地下に眠っているのです。

1959年に行なわれた「大坂城総合学術調査」の上町台地の地質を調査するために行なったボーリング調査で、地下9.3mの位置で石垣と考えられる花崗岩が確認され、3m四方の範囲を掘り下げる調査を実施。
その結果、地下7.3mの位置で、高さ4m以上の石垣が発見。
しかも石垣上端には粘土が貼られ、その上面は火災の痕跡も見つかったのです。
石の積み方は自然石を加工せずに積み上げた中世の「野面積み」(のづらづみ)で、豊臣時代の石垣である可能性が高まりました。
偶然にも翌1960年、中井家(江戸幕府大工頭)が所蔵する豊臣時代の大坂城本丸を平面で描いた『大坂城指図』が東京で発見され、その図面から豊臣氏大坂城の本丸「中ノ段帯曲輪」の石垣であることが推測できたのです(『大坂城指図』の正確性も確認されました)。
1984年の「金蔵」東側の水道工事に伴う調査でも地下の石垣が見つかり、石垣が築かれた地面が中ノ段帯曲輪、上端の地面が「詰ノ丸」であることが判明したのです。

石垣は、保存の意味あいから調査が終わると再び埋め戻され、公開されることはありませんでした。

大阪市では、2013年、大阪城エリアの世界的観光拠点化にむけて、大坂夏の陣から400年の節目を機に豊臣石垣を掘り起こして公開し、大阪城の新たな魅力を創出する「豊臣石垣公開プロジェクト」を開始。
本丸地下に眠る豊臣時代の遺構をなんとか見学できるようにしたいと、2014年にはクラウドファンディング「太閤なにわの夢募金」を利用した事業もスタートしました(ふるさと納税も活用)。

こうして「豊臣期大坂城の詰ノ丸石垣を露出公開展示し、大阪城の本物の歴史文化を体感できる施設」として誕生するのが「豊臣石垣館」です。

注/江戸時代以前は「大坂城」とし、明治維新後は「大阪城」と表記しています

豊臣石垣館工事中に養生された石垣
本物の豊臣時代の大坂城本丸石垣を公開する「豊臣石垣館」オープン
開催日時 2025年4月1日(火)オープン
所在地 大阪府大阪市中央区大阪城3-11
場所 豊臣石垣館
関連HP 大阪城公園公式ホームページ
電車・バスで JR大阪城公園駅、JR・大阪メトロ森ノ宮駅から徒歩15分、大阪メトロ谷町四丁目駅から徒歩15分
ドライブで 阪神高速13号東大阪線森之宮出口から約800m
駐車場 大阪城公園駅前駐車場(171台/有料)、森ノ宮駐車場(100台/有料)
問い合わせ 大阪城パークセンター TEL:06-6755-4146/FAX:06-6755-4149
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大阪城公園

大阪の中央に位置する、総面積106.7haの広大な公園。都心にある緑溢れる公園は「大阪みどりの百選」にも選定されている。もともとこの地には一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺がありましたが、1580(天正8)年の織田信長との石山合戦

 

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