「会津磐梯山は宝の山よ ♪」と民謡『会津磐梯山』で歌われている磐梯山。福島県耶麻郡猪苗代町、磐梯町、北塩原村にまたがる標高1816mの活火山で、会津盆地側からは秀麗な山容に会津富士とも呼ばれ、会津のシンボルとして親しまれています。ではなぜ、会津磐梯山は「宝の山」なのでしょうか?
有力な説は、ズバリ、磐梯山の金鉱山ですが
福島県の民謡『会津磐梯山』は、「エーヤーア会津磐梯山は宝の山よ(チョイサーチョイサー)笹に黄金がエーマーターなりさがる(チョイサーチョイサー ハイー)」が出だし部分。
会津地方の「新盆踊唄」として明治初年から歌われ、昭和9年、小唄勝太郎がレコーディングする際に、出だし部分をとって『会津磐梯山』としたもの。
ルーツは、会津若松の『玄如節』(げんしょうぶし)とされ、オリジナルにも3番に「ハァー 会津磐梯 宝の山でヨー(サアサヨイヤショーエー)笹に黄金がなり下がるヨー(ハァー なり下がるヨー)」
という歌詞が入っているので、会津磐梯山=宝の山という認識は同じ。
レコード化された、現在も歌われる民謡『会津磐梯山』、そしてルーツの『玄如節』ともに宝の山の理由付けとも考えられる「笹に黄金がなり下がる」部分。
ストレートに解釈すると「熊笹の実がたわわに実る」で、飢饉を救った笹の実ではないかとも推測できます。
岐阜・長野県境の野麦峠の野麦も熊笹の実が麦の穂に似ているから付いた名で、飢饉の際には貴重な食料になりました。
飢饉の年に、数年に一度実をつける熊笹の実を団子にして、飢えをしのいだと伝えられているのです。
歌が、飢饉の年にできたとすれば、『玄如節』は、もともと神仏に祈る際(神呼びの儀式)の歌なので、「熊笹の実がたわわに実る」も有り得る話。
笹は、稲穂のことで、磐梯山からの清流で育つ会津平野の稲とする考えもありますが、稲穂をわざわざ笹と言い換える必然性がありません。
もうひとつ、有力なのは、磐梯山でかつて栄えた金鉱山のこと。
磐梯高原・桧原湖の北岸に金山(かねやま)という集落がありますが、江戸時代に桧原金山(ひばらかねやま)が賑わった際の鉱山町です。
独鈷沢(とっこさわ)沿いに五拾両坑(ごじゅうりょうこう)、大直坑(おおなおれこう)など多数の坑道を掘り、金、銀、銅、鉛を採掘、金山には精錬工場もありました。
実は、会津藩最大の鉱山町として栄え、「桧原千軒」とも称されたのだとか。
しかも明治21年7月15日の磐梯山の大噴火以前の話。
桧原湖は、この大噴火の山体崩壊で生じた岩屑なだれが川を堰き止めて誕生した湖です。
当然、「桧原千軒」と栄えた金鉱山と鉱山町も、噴火の被害に遭遇し、廃鉱となったのです。
「笹に黄金がなり下がる」というのは金が豊富にとれることを比喩したフレーズで、だからこそ、「会津磐梯山は宝の山」なんだというのは、説得力があります。
しかも精錬に、赤い色をした水銀と硫黄の化合物「朱砂」(すさ=辰砂・しんしゃ)を使って水銀を得ていたので、「朱砂(すさ)に黄金がなり下がる」が「笹に黄金がなり下がる」に転じたという可能性も。
日本各地の民謡は、労働歌がベースで、温泉場などの遊興の場や盆踊りで歌われて流布されたものも多く、民謡『会津磐梯山』も鉱山町で発生あるいはアレンジされた歌という可能性も(『佐渡おけさ』はその典型)。
会津磐梯山は、なぜ「宝の山」なのか!? | |
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