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【旅の百科事典】 月待ち行事とは!?

二十三夜

中世以降、旧暦9月13日の十三夜、さらに十五夜、十九夜、二十三夜、二十六夜など特定の月齢の夜に集まり、月待ち行事を行なう講中がありました。月の出を待つから、月待ちですが、実は、月を祀るが転じて月まちだったとする説もあります。月待ち行事のなかでもっとも一般的なのが勢至菩薩を本尊とする『二十三夜待ち』です。

もっとも普及したのが二十三夜待ち

埼玉県さいたま市南区太田窪には二十三夜という地名が残されていますが、室町時代の初め、合戦の際に農民が兵士として駆り出され、家族が武運長久、安心立命を祈ったのが月待講の始まりとされています。

茨城県の大子町には『二十三夜待ち』に婦女子が集ったという月待の滝があります。
旧暦11月の二十三夜は、「霜月三夜」「三夜待ち」と呼ばれ、三が産に通じることから、子宝や子育ての平安を願う女性達によって講が組織されたのです。

『二十三夜待ち』は、旧暦23日頃子(ね)の刻ごろ(午前0:00前後)に上る下弦の月を待つもので、仏教では十二天の一つである月天子(がってんし)の本地仏・勢至菩薩(せいしぼさつ)を本尊として拝み、観音経を唱え、神道では月読尊(つきよみのみこと)を祀り拝んだのです。
月待ちを行なう日は、毎月23日、あるいは正月、5月、9月、11月の23日などと地域によって異なっていました。

勢至菩薩は、智慧(ちえ)の光を有し、あらゆるものを照して、すべての苦しみから解き放ち、衆生に限りない力を得させる菩薩だと信じられていました。
二十三夜に勢至菩薩を拝めば、万劫の罪が滅するという信仰があったのです。
十三夜(虚空蔵菩薩)、十五夜(大日如来)、十七夜(観音菩薩)、十九夜・二十一夜・二十二夜(如意輪観音)、二十六夜(愛染明王)とそれぞれに本尊がありましたが、この勢至菩薩のパワーにすがる『二十三夜待ち』が、月待ち行事の中で、もっとも普及した行事だったのです。

月待ち行事は、江戸時代の文化文政年間(1804年~1830年)、そして軍靴の足音が高くなる昭和の初めなどに隆盛しました。

ちなみに、秩父の二十三夜寺(医王寺)は、勢至菩薩を本尊とする寺で、毎月23日のみ限定のお守りも授与されています。

月待の滝

2018年12月3日

 

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