サイトアイコン ニッポン旅マガジン

廣貫堂

廣貫堂

越中富山藩2代藩主・前田正甫(まえだまさとし)が始めたという富山の配置家庭薬業。歴代の藩主は、「反魂丹役所」を運営するなどして薬業育成に努めましたが、明治9年に反魂丹役所が改変されて企業化したのが老舗、廣貫堂。「六神丸」(ろくしんがん)、「反魂丹」(はんごんたん)など自慢の薬を販売するほか、「廣貫堂資料館」を併設。

「六神丸」、「反魂丹」の購入を

「六神丸」(ろくしんがん)は、400年前に中国で処方されたのが始まりといわれる和漢強心剤。
「小さな粒に大きな安心」のキャッチフレーズで親しまれる廣貫堂創業当初からの伝統薬(強心薬)。
強心作用のある蟾酥(センソ)や麝香(ジャコウ)、牛黄(ゴオウ)、熊胆(ユウタン)、人参(オタネニンジン)、沈香(ジンコウ)が配合され、動悸、息切れ、気付けに効果があります。

ちなみに蝦夷地(北海道)で産した昆布は北前船で富山の売薬商人を介して琉球へと運ばれ、中国に輸出されました。
逆に中国から密かに輸入さえた和漢薬の原料が北前船で富山へと運ばれたのです。
併設の「廣貫堂資料館」では、富山の売薬の歴史や、北前船による昆布ロードとの関わりなどを解説しています。

2代藩主・前田正甫が「反魂丹」を有名に!?

今では胃腸の薬として有名な「反魂丹」は、室町時代、堺の商人・万代掃部助(もずかもんのすけ)が中国人から処方を学び、家内薬として重宝していたもの。
8代目は岡山藩主・池田忠雄の御典医となりますが、前田正甫は自身の腹痛に「反魂丹」が効いたことから1683年(天和3年)、万代家11代目・万代常閑(まんだいじょうかん)を富山に呼んで、その調合を学び、独自の調合で、「反魂丹」を調薬します。

元禄3年(1690年)、江戸城内で、三春藩主・秋田輝季(あきたてるすえ)が激しい腹痛を訴えたため、その場に居合わせた越中富山藩2代藩主・前田正甫は、携帯していた「反魂丹」を服用させたところ、たちどころに腹痛が治まり、富山の薬の優秀さが、諸大名に知れ渡りました(逸話として有名ですが、史料的な裏付けはありません)。
明和2年(1765)、6代藩主・前田利與(まえだとしとも)は反魂丹役所を設立し、富山の売薬業の発展に尽力しています。

三春藩主・秋田輝季、江戸城内で「反魂丹」を服用(「廣貫堂資料館」の展示)
名称 廣貫堂/こうかんどう
所在地 富山県富山市梅沢町2-9-1
関連HP 廣貫堂公式ホームページ
電車・バスで JR・あいの風とやま鉄道富山駅前の富山駅前電停から富山地方鉄道の市内電車南富山駅前行きで9分、広貫堂電停下車、すぐ
ドライブで 北陸自動車道富山ICから約4km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 廣貫堂 TEL:076-424-2310
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

廣貫堂資料館

富山は藩政時代から「越中売薬」が有名で、現在の配置家庭薬というスタイルを築きました。廣貫堂は、明治9年に薬売りの共同出資により設立され、和漢薬を中心に製造する配置薬の老舗。廣貫堂資料館は富山の薬売りの歴史と製造工程を紹介する博物館で、懸場帳

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了