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射水市新湊博物館

射水市新湊博物館

富山県射水市、道の駅カモンパーク新湊にある射水市の歴史、文化を中心に解説するミュージアムが射水市新湊博物館。常設展示は中世都市・放生津(ほうじょうづ)、放生津の船乗りたちの信仰、そして放生津潟の周辺の射水平野に広がった水郷地帯、加越能三州を測量した石黒信由(いしくろのぶよし)を中心に紹介。

中世都市・放生津の歴史を学ぶ

天平時代に国守として赴任した大伴家持(おおとものやかもち)が創建したと伝えられる放生津八幡宮。
そして鎌倉時代、湊町として栄えた放生津ですが、その地名も放生津八幡宮で10月2日に行なわれている放生会(ほうじょうえ)に因んでいます。

鎌倉時代、放生津に越中守護所が置かれ、越中の政治、経済、文化の中心地として繁栄し、明応2年(1493年)には室町幕府10代将軍・足利義材(あしかがよしき/室町幕府第10代将軍・足利義稙)が、管領(かんれい=室町幕府において将軍に次ぐ最高の役職)・細川政元(ほそかわまさもと=父は応仁の乱で東軍を率いた細川勝元)が起こした明応の政変(めいおうのせいへん=細川政元が将軍として足利義澄を擁立した政変)で、正覚寺に籠城後、京を逃れ放生津に下向し、婦負郡・射水郡分郡守護代・神保長誠(じんぼうながのぶ=部下の越中衆の多くは正覚寺で討ち死に)の尽力で、正光寺を改装して御座所を設けています(足利義材は越中公方と呼ばれるように)。
足利義材が放生津に御座所を構えたことから、宗祇(そうぎ)ら連歌師などが放生津に来遊しています。
また、雄山神社前立社壇本殿(国の重要文化財、室町時代中期築)も足利義材の修築と伝承されるなど、多くの足跡を残しています。

常設展示は中世都市・放生津を中心に紹介。
また、江戸時代、射水郡高木村(現・射水市高木)に生まれた和算家、測量家の石黒信由(いしくろのぶよし)の足跡を展示する「高樹文庫」コーナーも見応えがあります。
測量家・伊能忠敬(いのうただたか)顔負けの測量図『加越能三州郡分略絵図』も展示されており、こちらも古地図ファンには注目のコーナーになっています(「石黒信由関係資料」3764点が国の重要文化財に指定されています)。
隣接する「測量庭園」では実際に測量を体験学習できる仕組み。

ミュージアムグッズとしては絵図などの複製品が充実。

射水市新湊博物館
名称 射水市新湊博物館/いみずししんみなとはくぶつかん
所在地 富山県射水市鏡宮299
関連HP 射水市新湊博物館公式ホームページ
電車・バスで あいの風とやま鉄道小杉駅から射水市コミュニティバス新湊・小杉線新湊方面行きでカモンパーク新湊下車、徒歩1分。または、タクシーで10分
ドライブで 北陸自動車道小杉ICから約7km
駐車場 35台/無料
問い合わせ 射水市新湊博物館 TEL:0766-83-0800/FAX:0766-83-0802
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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