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古墳時代の大型神殿!? 境松遺跡で発見された建物跡の謎

境松遺跡

愛知県豊橋市牟呂地区にある境松遺跡(さかいまついせき)で、2022年に出土した独立棟持柱建物跡。東日本では3番目に巨大な独立棟持柱建物跡で、最も標高の高い丘の上に位置することから、神殿と推測され、五穀豊穣などを願う祭祀が行なわれていたと考えられています。

ムラ全体の行事に関わる集会施設の可能性も

発掘調査時の現地見学会の様子

境松遺跡は、太平洋に半島状に飛び出した段丘の先端部の小高い場所に位置し(現在は周辺部は埋め立てられています)、弥生時代には隣接する若宮遺跡にかけて、ムラの周囲を濠で囲む環濠集落(かんごう)が広がっていました。

これまでの発掘調査で、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけての竪穴建物跡が多く見つかり、注目を集めていましたが、豊橋市文化財センターの2022年度発掘調査では、弥生時代前期の土器棺墓2基、弥生時代後期から古墳時代前期のものと見られる竪穴建物18軒、大型の掘立柱建物2棟、中世の墓坑、中・近世の掘立柱建物や区画溝などが出土しています。

注目は三重県四日市市の菟上遺跡(うながみいせき=飛鳥~奈良時代の規格性持つ大型掘立柱建物群が出土) 、千葉県君津市の常代遺跡(とこしろいせき=郡衙の跡とも推測される巨大な建築物の跡)に次ぐ東日本で3番目に大きい独立棟持柱建物跡です。

外側に突き出た屋根の棟木を支えるために設けられた棟持柱を持つ掘立柱建物で、床面積は46平米、伊勢神宮の社殿でも見られる建築様式だったと推測できます。

「見つかった掘立柱建物は規模や高度な建築技術から、祭殿や神殿、ムラ全体の行事に関わる集会施設など特殊な用途の建物」(豊橋市文化財センター)とのことで、あわせて弥生時代後期から古墳時代前期のものとみられる大型の竪穴建物跡も2軒出土しているほか、過去の調査では床面積105平米という巨大な掘立柱建物跡も見つかっていることから、ムラからクニへの以降期の遺跡であると推測できます。

遺跡は市街化されており、住宅地となっているので、残念ながら発掘調査時の現地説明会以外では遺跡の様子を見学することができません。
環濠の部分も住宅地となっています。

神殿かと推測される独立棟持柱建物跡の構造
古墳時代の大型神殿!? 境松遺跡で発見された建物跡の謎
所在地 愛知県豊橋市牟呂町境松
場所 境松遺跡
ドライブで 東名高速道路豊川ICから約12km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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