津和野(島根県)出身で、東京帝国大学理学部でナウマンに学んだ小藤文次郎(ことうぶんじろう)が、明治24年の濃尾地震で現地調査を行ない、地裂線が根尾谷断層と一致することから、「断層が動いて、地震が起きる」ことを発表。今では定説となった断層地震説が生まれた根尾谷断層は、再注目される存在です。
濃尾地震で生じた根尾谷断層が、地震断層説を生んだ!
小藤文次郎は、石見国(現・島根県)津和野に生まれ、藩校・養老館で漢学や蘭学を学んだ後、藩命で15歳の時に江戸に出て大学南校(後の開成学校、東京大学の前身)に入学。
明治維新後、東京帝国大学理学部でドイツの地質学者・ナウマン(Heinrich Edmund Naumann=フォッサマグナを発見、ナウマンゾウに名を残すお雇い外国人)などに学んだ後、文部省の留学生として先進の地質学を学ぶため、ドイツに留学。
帰国後、東京帝国大学理学部地質学科講師に就任しています。
当時の日本の地質学を牽引するひとりで、濃尾地震の際には、2週間後に現地入りし、根尾谷断層(現・岐阜県本巣市)を調査し、写真を撮影して論文(『On the cause of the Great earthquake in central Japan, 1891.』帝國大學紀要理科)に掲載、それが海外にも紹介されたため、世界的にも有名な断層となったのです。
日本最大の地震断層でもある根尾谷断層の断層崖は、国の特別天然記念物にも指定されていますが、現地調査(明治24年10月28日発生、その2週間後というフットワークの軽さでした)を行なった小藤文次郎は、水平落差2.5m、垂直落差5.5m、延長80kmという見事な断層のズレ(根尾谷断層)の出現を目撃、「日本南彎の支那山系を切っているこの断層こそ地震の原因」だと確信。
「断層が動いて、地震が起きる」ことを発表したのです。
論文で、当時世界で初めて地震は活断層によって引き起こされるという断層地震説を発表し、現在ではそれが定説に(当初は、根尾谷の局部陥落が地震の原因とする説もありましたが、明治27年に起こった庄内地震の調査で、断層が引き起こすことを断定しています)。
実は濃尾地震が発生する直前の明治22年〜明治23年、小藤文次郎は、地学雑誌などに外国の地震説を様々に紹介していますが、当時、地震はマグマの上昇で山脈が隆起し、爆発が起こらない際には地震を引き起こすという火山地震説が有力でした(ドイツの博物学者・フンボルトなどが提唱)。
アルプス山脈の地理の専門家として知られるエドアルト・ジュース(Eduard Suess)は、断層地震(構造地震)を提唱していましたが、まだ有力ではありませんでした。
この東海道線を寸断した濃尾地震をきっかけに早くも地震勃発の翌年、震災予防調査会が設立し、小藤文次郎もそれに加わっています。
「日本地質学の父」は、ナウマンを指す言葉ですが、小藤文次郎もそう称されるのもこの根尾谷断層調査と、断層地震説の提唱から。
鉄道が敷かれた近代になって初の巨大地震がきっかけに始まった科学的な地震学の研究ですが、そのルーツはこの根尾谷断層にあったのです。
【知られざるニッポン】vol.77 濃尾地震の根尾谷断層で、「断層が動いて、地震が起きる」ことが判明! | |
所在地 | 岐阜県本巣市根尾水鳥512 |
場所 | 根尾谷断層 |
電車・バスで | 樽見鉄道水鳥(みどり)駅から徒歩3分 |
ドライブで | 名神高速道路岐阜羽島ICから約42km |
駐車場 | 地震断層観察館・体験館駐車場を利用 |
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