サイトアイコン ニッポン旅マガジン

道成寺

道成寺

寺伝によれば、大宝元年(701年)、文武天皇(もんむてんのう)の勅願で建立されたいう和歌山県日高川町の古刹が道成寺(どうじょうじ)。能、歌舞伎、浄瑠璃で有名な『安珍・清姫伝説』(あんちんきよひめでんせつ)で知られる天台宗の寺で、縁起堂で「安珍清姫」の絵巻物を見せながらの絵説き説法が行なわれています。

『安珍・清姫伝説』の絵説き説法も、ぜひ!

奈良時代には金堂、塔、中門、講堂、回廊などがあったことが発掘調査で判明しています。
『安珍・清姫伝説』も、平安時代中期に編纂された『大日本国法華験記』に記される古い逸話です。

戦国時代には織田信長軍の全山焼き討ちにあい、本堂を残し、ほとんどの堂宇を失っています。

本堂は、正平12年(1357年)築で国の重要文化財。
元禄13年(1700年)再建の仁王門も国の重要文化財となっています。
宝暦14年(1764年)再建の三重塔、元禄15年(1702年)築の書院は和歌山県の文化財に指定。

思いを寄せた僧の安珍に裏切られた清姫が激怒のあまり蛇に変化し、鐘の中に逃げた僧・安珍を鐘ごと焼き殺したと伝わる鐘楼跡も残されています。

宝佛殿には、本尊で平安前期作の木造千手観音立像や脇侍の日光・月光菩薩像の国宝3点をはじめ、重要文化財11点など、数々の文化財を収蔵し、拝観が可能。
また縁起堂では、寺の縁起と『安珍・清姫伝説』の絵説き説法(約20分、1日3回〜10回/随時実施)を行なっています。

安珍・清姫の物語
延長6年(929年)、奥州から熊野詣にやって来た修行僧・安珍は、真砂庄司の娘・清姫に一目惚れされます。
断りきれない安珍は、帰路、立ち寄ることを約束しますが、いつまでたっても安珍はやって来ません。
日高川を安珍は船で渡りますが、清姫は蛇に身を変えて泳いで渡り、ついにクライマックスの道成寺へ。
道成寺に逃げ込んだ安珍を、道成寺の僧がかくまい、鐘の中に潜みます。
蛇となった清姫は、恐ろしいことに鐘をぐるぐる巻いて、安珍を火で焼き殺し、入水自殺してしまいます。
住持が法華経供養を営むと、なんと安珍・清姫のふたりは、天人の姿で現れ、熊野権現と観音菩薩の化身だった事を明かすのです。
土佐光重画『道成寺縁起絵巻』
道成寺
名称 道成寺/どうじょうじ
所在地 和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
関連HP 道成寺公式ホームページ
電車・バスで JR道成寺駅から徒歩7分
ドライブで 湯浅御坊道路川辺ICから約4km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 道成寺 TEL:0738-22-0543/FAX:0738-23-3806
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

画像協力/公益社団法人和歌山県観光連盟

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了