和歌山県海南市下津町にある天台宗の古刹、長保寺(ちょうほうじ)。長保2年(1000年)、一条天皇の勅願で、慈覚大師・円仁の弟子である性空(しょうくう)が創建。平安時代、長保寺周辺は藤原摂関領だった地で、多くの皇族が熊野参詣途上にも立ち寄っています。本堂、多宝塔、大門が国宝。紀州藩主徳川家墓所は国の史跡。
平安貴族全盛の長保2年に創建
寺が創建された長保年間(999年〜1004年)は、藤原道隆・藤原道長兄弟のもとで藤原氏の権勢が最盛に達した平安貴族の全盛時代。
皇后定子に仕える清少納言、中宮彰子に仕える紫式部・和泉式部らによって平安女流文学が花開いた時代で、長保寺はそんな貴族社会の繁栄を背景に、天台宗寺院として創建されています。
寛文6年(1666年)、和歌山藩初代藩主の徳川頼宣(とくがわよりのぶ=徳川家康の十男)が熊野巡視の帰途、長保寺に立ち寄り、紀州徳川家の菩提寺と定め、天海僧正の意向もあって天台宗に戻しています。
その要害堅固な地形から徳川頼宣は非常時の陣にもなると考えたのです。
境内の紀州藩主徳川家墓所には徳川頼宣以降の歴代藩主が眠っています。
ただし5代藩主・徳川吉宗(8代将軍)は上野・寛永寺、13代・徳川慶福(よしとみ=14代将軍家茂)の墓は芝・増上寺が墓所。
紀州藩主徳川家墓所は、藩主墓所としては日本最大規模で国の史跡になっています。
延慶4年(1311年)築の本堂、正平12年(1357年)築の多宝塔、嘉慶2年(1388年)築の大門は国宝。
本堂・塔・大門が揃って国宝なのは、法隆寺と長保寺のみです。
鎌倉時代後期の永仁3年(1295年)築の鎮守堂は国の重要文化財。
これらの建物は、一時期、寺が真言宗に改修していた時代の建築物で、仁和寺の僧・印玄が本堂を再建しています。
和歌山県の文化財に指定される紀州藩御霊屋は、徳川頼宣が長保寺を紀州徳川家の菩提寺と定めた際に建立した仏殿で、徳川頼宣没後に位牌堂に充てられたもの。
シイノキ、ホルトノキ、ヤマモモ、アラカシなどの常緑広葉樹が茂る森は、「長保寺の林叢 」として和歌山県の天然記念物。
長保寺の境内と参道は桜400本と牡丹1200本の花の名所でもあり、日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」の構成資産になっています。
画像協力/和歌山県、和歌山県観光連盟
名称 | 長保寺/ちょうほうじ |
所在地 | 和歌山県海南市下津町上689 |
関連HP | 長保寺公式ホームページ |
ドライブで | 阪和自動車道和歌山ICから約23km |
駐車場 | 大門西駐車場(15台/無料) |
問い合わせ | TEL:073-492-1030/FAX:073-492-1030 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag