道成寺( どうじょうじ/和歌山県日高川町)に伝わる安珍清姫(あんちんきよひめ)の物語。ヒロインの清姫の生まれ故郷とされるのが田辺市中辺路町の真砂地区。お休み処「清姫茶屋」の近くに清姫の墓と伝わる石塔が残され、墓の横には耳の病に霊験のある薬師堂が建っています。
熊野詣が生んだ、法華経PRの説話
平安時代、奥州・白河の安珍という美形の僧が毎年のように熊野詣をして、真砂(まなご)の庄司・藤原清重の館に宿泊していました。
延長6年(929年)のある日、藤原清重の娘・清姫は、安珍に想いを寄せます。
一途な想いは叶わぬと知ると、清姫は大蛇に姿を変えて、道成寺の鐘の中に隠れた安珍を焼き殺してしまうのです。
これが有名な『道成寺物語』。
平安時代の『大日本国法華験記』(『法華験記』)、『今昔物語集』にも似た話が記載されています。
道成寺の『大日本国法華験記』(『法華験記』)絵解きでは話は続きます。
畜生道に落ち蛇に転生したふたりは、道成寺の住持のもとに現れて供養を依頼。
法華経の功徳によりふたりは成仏しますが、実はこのふたりは熊野権現と観世音菩薩の化身であったというのが結末。
仏教(法華経)のPR政策でもある『大日本国法華験記』ですが、実は安珍、清姫の名前は記されていません。
清姫の名の初出は寛保2年(1742年)に初演した浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』とされますが、説話は古くからこの地に伝わっていたもの(地元の伝わる話では、清姫は安珍に騙されたことを知ると、その後を追うことはなく、富田川の淵に身を投げて死んだとされています)。
平安時代中期の『大日本国法華験記』、平安時代末期の『今昔物語集』に記され、「道成寺物」として近世に能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎などの題材になって普及した物語です。
清姫の墓の周辺には清姫が水垢離(みずごり=神仏に祈願するため水を浴びて身を清めること)をとった清姫渕、衣を掛けた衣掛松、安珍の帰りを待った清姫のぞき橋、水鏡にした鏡岩などが残されています。
名称 | 清姫の墓/きよひめのはか |
所在地 | 和歌山県田辺市中辺路町真砂 |
関連HP | なかへち町観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 阪和自動車道南紀田辺ICから約19km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | なかへち町観光協会(熊野古道館) TEL:0739-64-1470 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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