瀬戸内三原築城450年事業推進協議会(事務局=三原市役所)に所属するゆるキャラ「やっさだるマン」。
三原市公式マスコットキャラクターの「やっさだるマン」が、これからの『ゆるキャラ(R)グランプリ』のダークホース、台風の目になるかも知れません。
やっさ踊りが大好きな450歳のだるま!?
モチーフとなっているのが中国地方を代表する夏祭り『三原やっさ祭り』。「やっさ踊りを踊る日本一の大だるま」をイメージし、やっさ踊りが大好きな推定450歳のキャラクターなのです。
本人曰く「元々は三原神明市の大だるまなんよ」。
さらに三原市のスイーツとお酒が好きなようで、「顔に似合わず,実は三原のスイーツが大好きなんじゃー」とキッパリ宣言。
スイーツ好きでメタボ体型になったかどうかは定かでありませんが、「踊る姿を見た人や、法被(はっぴ)に触ったら法被だけにハッピーになれる!? って言われとるけぇ、ぜひ触りにきてみんさい」というダジャレもかましてくれています。
1位の「出世大名家康くん」の1421分の1の得票数!
ゆるキャラ(R)グランプリ2015では、得票数4898ポイント、総合477位、ご当地バージョンでも317位と、まだまだ「泡沫(ほうまつ)候補」的な存在。1位となった浜松市の「出世大名家康くん」は、なんと695万3461ポイント。
つまりは三原市VS浜松市=1:1420.8
な、なんと1420倍もの開きがあるのです。
綾瀬はるかとCMで共演
しかし、これは、三原市マスコットキャラクター「やっさだるマン」がニューフェイスゆえ。「やっさだるマン」が初登場は2015年4月29日のこと。応募作品(総数1017点)から選定され、三原市合併10周年記念式典で初披露されました。デザイン作者である広島市西区在住の福永智彦さんは世羅町の出身。「三原といえばやっさ祭りと神明市。やっさ踊りを踊る日本一の大だるまをイメージしてデザイン画を作成」とのこと。
「やっさ踊りを踊る日本一の大だるま」は、ネットでも話題に。「縁起の良いダルマで三原が元気になってほしい」という願いが込められたデザインなのですが、
「顔の半分を覆うヒゲづらに真っ赤なクチビル、妙にリアルな手足は、妖怪に近い」
「地元の二大名物を合体させたら、凄いことになってしまった」
「顔が濃いめの踊れるダルマ」
「広島のゴツすぎるゆるキャラ」
と侃々諤々(かんかんがくがく)の騒動に。
しかし、これまでにない、ゆるキャラならぬ、濃いキャラに、マスコミの注目度もググンと上昇中。
プライベート・ビエラのTVCMにも登場し、なんと綾瀬はるかとの共演も果たしました。
やっさ祭り
1567年(永禄10年)、戦国武将の小早川隆景(竹原小早川家第14代当主)が三原城を築いたことを祝い、三原城下の人たちが踊ったのが始まり。
つまり2017年は築城450年、だから「やっさだるマン」も450歳というわけなのです。
毎年8月の第2日曜を含む金・土曜、日曜の3日間にわたって行なわれます。
踊り手たちが「やっさやっさ」と声をかけながら三味線、笛、太鼓の響きに合わせて踊りを披露し、JR三原駅前を練り歩きます。
【『やっさ祭り』発祥異説】
『やっさ祭り』発祥にはもう一つの説があります。
『やっさ祭り』は、源頼朝の源氏復興の一大勢力だった相模国土肥郷(神奈川県湯河原町)の領主・土肥次郎實平が領民の人身安定のために始めた「實平踊り」が起源というもの。
鎌倉幕府成立後、瀬戸内海の治安確保のため、土肥次郎實平は安芸国(広島県)に派遣されましたが、領民がその遺徳を偲んで生まれたのが現在の「三原やっさ」という説です。
逆に、途絶えていた「實平踊り」を復活させようと、「三原やっさ」を取り入れて生まれたのが湯河原温泉の「湯河原やっさ」。湯河原最大の祭である「湯河原やっさ」は逆輸入で誕生したのです。
三原神明市
「神明祭」とは、神宮への信仰を喧伝する御師が伝えた祭礼。室町末期に広まった祭礼といわれ、三原城を築いた小早川隆景も初市として活性化を図りました。現在では毎年2月の第2日曜日を最終日とする3日間に行なわれています。東町、館町、本町一帯に数百の露天商が軒を連ね、約30万人の人出で賑わいます。神明市のシンボルになっているのが大だるまで、戦前からだるま市として賑わいをみせましたが、大だるまが登場したのは昭和25年頃のこととか。
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