山形県天童市、天童市内を流れる倉津川に王将橋、金将橋、桂馬橋などがかかる将棋の町、天童。JR天童駅周辺にも将棋駒の製造メーカーが数多く、そのビジターセンターともいえる施設が天童駅の1階にある天童市将棋資料館です。天童将棋駒は、国の伝統的工芸品にも認定されています。
日本一充実した将棋のミュージアム
現在国内で生産される将棋駒はその大部分(9割ほど)が天童とその周辺で生産されています。
将棋や、将棋駒の歴史、天童と将棋の関係、将棋駒の製造工程などを多角的に解説する日本一の将棋博物館が天童市将棋資料館。
常設展示は、将棋のルーツ、日本への伝来(遣唐使や入唐僧などによって伝来)、世界の将棋チェス、駒の制作、将棋長屋、天童と将棋の歴史、天童とタイトル戦、駒工人の数々の駒と多角的です。
名工の手による美しい将棋駒、江戸時代に人気があったとされる駒数92(通常の将棋の駒のほか、横行、竪行、龍馬、龍王、獅子、奔王、反車、盲虎、麒麟、鳳凰、猛豹、銅将、醉象、仲人などの駒がありました)の中将棋(ちゅうしょうぎ)など興味深い展示が数多く、将棋ファン以外でも楽しむことができる内容。
天童の将棋駒は、吉田大八の発案
天童の将棋駒は織田信長の末裔(信長の次男・織田信雄の末裔)である織田信美(おだのぶかず)が、天保2年(1831年)、幕府の許可を得て陣屋を高畠から天童に移し、天童藩を開いた後に始まっています。
幕末の窮乏した財政の中、将棋は兵法戦術にも通じるとの考えから、吉田大八(よしだだいはち=天童藩大目付・武具奉行などを歴任)が下級藩士に将棋駒作りを内職として奨励したのが始まりです。
吉田大八は米沢藩から2人の技術者を招聘し、駒の作り方と将棋の指し方を伝授させたと伝えられています。
天童の将棋駒は本来、「番太郎駒」に代表される草書体の書き駒でしたが、大正初期、大阪から彫り駒の技法を導入し、現在では彫り駒が主流となり、高級駒の生産地としての評価も得ているのです。
天童市の舞鶴公園で4月第3土・日曜に行なわれる『天童桜まつり 人間将棋』は、天童藩主が、人間を将棋の駒に見立てて対局したという故事を再現したもの。
天童市将棋資料館 | |
名称 | 天童市将棋資料館/てんどうししょうぎしりょうかん |
所在地 | 山形県天童市本町1-1-1 |
関連HP | 天童市将棋資料館公式ホームページ |
電車・バスで | JR天童駅からすぐ |
ドライブで | 東北中央自動車道天童ICから約3km。山形自動車道山形北ICから約8.6km |
駐車場 | 天童駅東駐車場(89台/1時間まで無料) |
問い合わせ | 天童市将棋資料館 TEL:023-653-1690/FAX:023-653-1685 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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