山形県米沢市(よねざわし)、松が岬公園(米沢城本丸跡)の南側、米沢城の二の丸跡にある趣深い建物が上杉伯爵邸(上杉記念館)。もとは14代・上杉茂憲(うえすぎもちのり)伯爵邸として建てられたもので、かつては「鶴鳴館」(かくめいかん)と称され、戦前は皇族の御宿所にもなっていました。現在の建物は大正14年の再建で、国の登録有形文化財。
邸内では郷土料理「献膳料理」や米沢牛が味わえる
銅板葺き、総檜入母屋造りの建物と、東京の浜離宮を模した庭園からなる豪壮な建物で、居間や客間では、上杉家の家老・直江兼続(かねつぐ)が栽培を推奨したともいわれる「うこぎ」をはじめ、この兼続の精神に学んだともいわれる名君、米沢藩10代藩主の上杉鷹山(うえすぎようざん)にちなんだ米沢の郷土料理「献膳料理」、米沢牛などが味わえます。
手頃な献膳料理はランチの定番です。
米沢牛も米沢牛膳、ステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶ、ローストビーフサラダを用意。
14:30以降は予約制で、11:00からのランチも満席だと入れないこともあるので、なるべくなら事前に予約を。
また和カフェ「茶房」も営業し、庭園を眺めながら気軽にスイーツや抹茶、コーヒーが楽しめます。
ちなみにJR東日本、『行くぜ、東北。』2016年秋の「米沢探訪」編では、松岡茉優が林泉寺の次に上杉伯爵邸を訪ね、野菜→肉→割り下の順に火を通していく「上杉伯爵邸」流のレシピですき焼きを味わうシーンが登場。
上杉茂憲
12代米沢藩主・上杉斉憲(うえすぎなりのり)の長男。
上杉茂憲は、幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)では父・斉憲ととともに奥羽越列藩同盟に参加し、その中心的な存在となりますが、敗戦により父の退位で家督を相続。
明治2年、版籍奉還により米沢藩知事となり、明治4年の廃藩置県により東京に移住し、イギリスに自費で留学後の明治14年、沖縄県令に就任(維新後は正二位伯爵)。
明治29年に米沢に戻り、米沢出身の建築家・中條精一郎の設計で伯爵邸を建築(当初の建物は大正8年5月19日大火で類焼)。
養蚕や製糸、織物の改良に尽力し、大正8年4月18日没。
上杉茂憲は、幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)では父・斉憲ととともに奥羽越列藩同盟に参加し、その中心的な存在となりますが、敗戦により父の退位で家督を相続。
明治2年、版籍奉還により米沢藩知事となり、明治4年の廃藩置県により東京に移住し、イギリスに自費で留学後の明治14年、沖縄県令に就任(維新後は正二位伯爵)。
明治29年に米沢に戻り、米沢出身の建築家・中條精一郎の設計で伯爵邸を建築(当初の建物は大正8年5月19日大火で類焼)。
養蚕や製糸、織物の改良に尽力し、大正8年4月18日没。
上杉伯爵邸 | |
名称 | 上杉伯爵邸/うえすぎはくしゃくてい |
所在地 | 山形県米沢市丸の内1-3-60 |
関連HP | 上杉伯爵邸公式ホームページ |
電車・バスで | JR米沢駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 東北自動車道福島飯坂ICから約38.5km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 上杉伯爵邸 TEL:0238-21-5121/FAX:0238-21-5122 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag