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最上公園(新庄城)

最上公園(新庄城)

山形県新庄市にある新庄藩6万石の藩祖・戸沢政盛(とざわまさもり)が寛永2年(1625年)に築いた新庄城の城跡が、最上公園。堀と土居で囲まれ、三隅に櫓を有する平城で、中央に天守櫓が聳えていました。本丸跡は最上公園として整備され、藩祖と藩主を祀る戸澤神社が建っています。

新庄藩6万石の居城、本丸跡が公園に

元和8年(1622年)、最上家のお家騒動で、旧最上家領は4つに分割され、そのうちのひとつが新庄藩。
常陸・松岡藩から戸沢政盛が転封して藩主となり、新庄城を築いています。
天守櫓は、寛永10年(1636年)の火災で焼失し、その後、再建されることはありませんでした。
本丸の東側に二の丸、三の丸が配され、侍町を形成し、その外側に町人町がありましたが、戊辰戦争でその多くが失われています。
本丸、二の丸、三の丸の堀の水は城の北側を流れる差指野川(さすのかわ)から引かれていますが、こうした縄張りは、最上氏改易の元和8年(1622年)、山形城に入封した鳥居忠政(とりいただまさ=三河以来の徳川家の家臣)によるもの。
その妹婿が新庄藩主・戸沢政盛、娘婿が鶴岡藩主・酒井忠勝、従弟が上山藩主・松平重忠(まつだいらしげただ)という縁戚で東北諸藩に睨みを利かせていました。

本丸跡に建つ戸澤神社は、戸沢家始祖・戸沢衡盛(とざわひらもり)と藩祖・戸沢政盛が祭神で明治26年創建。
天満神社(戸沢家の氏神)、護国神社(戊辰戦争以来の戦死者を祀り明治2年創建)が鎮座しています。
二の丸跡には新庄市民文化会館、新庄ふるさと歴史センターが建ち、歴史文化エリアに。
最上公園内にはソメイヨシノ、シダレザクラなど350本が植栽され、最上地方随一の桜の名所として春には花見で賑わいます(例年の桜の見頃は4月下旬)。

本丸跡に建つ戸澤神社
最上公園(新庄城)
名称 最上公園(新庄城)/もがみこうえん(しんじょうじょう)
所在地 山形県新庄市堀端町2-1
関連HP 新庄市公式ホームページ
電車・バスで JR新庄駅から徒歩15分
ドライブで 東北中央自動車道新庄ICから約3km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 新庄市商工観光課 TEL:0233-22-2111/FAX:0233-22-0989
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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