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湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺

湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺

山形県鶴岡市にある真言宗豊山派の寺が、湯殿山総本寺大日坊瀧水寺(ゆどのさんそうほんじだいにちぼうりゅうすいじ)。空海が開山したと伝えられ、江戸時代まで神仏習合の出羽三山詣で栄えた、湯殿山の総本寺で、即身仏「真如海上人」(しんにょかいしょうにん)があることでも有名です。

「木食行者・真如海上人即身仏」は本堂に安置

室町時代以前の建立といわれる仁王門

神仏習合時代、出羽三山のひとつ、湯殿山には、湯殿山大権現(両部大日如来)を祀り、女人禁制の湯殿山にあって、注連寺とともに女性の参拝が許されていたため、女性の信仰も集めていました。

湯殿山神社には別当(神社を管理する寺)が4ヶ寺(本道寺=現・口之宮湯殿山神社、大日坊、注連寺、大日寺=湯殿山神社が大日寺跡)ありましたが、大日坊は山号に「湯殿山」を掲げ、湯殿山総本寺を名乗り、まさに神仏習合時代、湯殿山信仰、そして修験の中心的な存在。
往時には、境内に修験僧の僧坊、修行道場、執事本坊、講堂などが建ち並んでいました。

徳川家光と弟・徳川忠長(とくがわただなが)の間に家督争いが起こった際、2代将軍・徳川秀忠の病気平癒祈願を名目に、春日局(かすがのつぼね=3代将軍・徳川家光の乳母で大奥の礎を構築)が参詣しています(その実は、徳川家光に家督を継がせる祈願だったとも/弟・徳川忠長は高崎に幽閉され、幕命で切腹)。

寛永14年(1637年)、徳川家光が疱瘡(ほうそう)を患った際には、病気平癒の祈願のため、旗本・久米助右エ門が代参して病気平癒を祈願し、病気が平癒し、跡継ぎも生まれた寛永17年(1640年)には桁行3間、梁間3間の御堂を春日局が寄進、大日如来尊像(現在は本尊の前立仏になっています)を徳川家光が寄進しています。

こうした諸願成就により、徳川将軍家の祈願寺になったのです。

明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で、湯殿山神社が分かれ、さらに諸堂諸仏の破却という荒波を受け、多くの貴重な堂宇、2体の即身仏が焼き討ち、明治27年の地滑りなどで失われ、昭和11年に現寺地に規模を縮小して移転。

仁王門は、数少ない往時の建物で、山形県の文化財に指定(運慶作と伝わる仁王像が鎮座)。
寺宝の金銅仏釈迦如来立像は国の重要文化財。
本尊の金剛界・胎蔵界両部大​日如来は、空海自刻と伝えられる秘仏で、6年に一度(丑歳と未歳)御開帳。

本堂に安置されている「木食行者・真如海上人即身仏」は真如海上人が天明6年(1786年)に96歳で生身のまま土中に入定、3年3ヶ月後に弟子や信者の手により掘り出され(1000日後掘り起こすのが遺言)、自然乾燥して即身仏となったもので、山形県内にある即身仏8体のうちの1体です。
本尊御開帳の年の6月1日に衣替えが行なわれています。

移転する以前に大日坊があった故地に立つ皇壇の杉(おうだんのすぎ)は、山形県の天然記念物。

神仏習合時代には、湯殿山のご宝前のことは人に話してはならない、語らば聞くな、聞かば語るなという厳しい定めがあり(言わずの山語らずの山)、現在も写真撮影禁止、参拝は土足厳禁という霊地です。

湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺
名称 湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺/ゆどのさんそうほんじ だいにちぼうりゅうすいじ
所在地 山形県鶴岡市大網入道11
関連HP 湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺公式ホームページ
電車・バスで JR鶴岡駅からタクシーで40分
ドライブで 山形自動車道月山ICから約27km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺 TEL:0235-54-6301/FAX:0235-54-6302
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

湯殿山神社

出羽三山の一つ湯殿山は、標高1500mで月山に連なり、湯殿山神社はその北側の渓流の畔に鎮座する神社。六十里越街道から湯殿山有料道路に入り、終点の駐車場から徒歩かシャトルバスを利用。御神体は湯がこんこんと湧き出す茶褐色の巨大な岩で、「語るなか

湯殿山注連寺

山形県鶴岡市大網にある真言宗智山派の寺、湯殿山注連寺。神仏習合時代の湯殿山で、湯殿山神社の別当(神社を管理する寺)4ヶ寺のひとつ。同じ別当の大日坊と同様に、天長2年(825年)、空海創建と伝わる古刹で、湯殿山権現の本地仏・金胎両部の大日如来

 

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