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「プリン・ア・ラ・モード」発祥の地、ホテルニューグランドへ!

プリン・ア・ラ・モード

プリンアラモード(Pudding a la mode)は、横長の器にプリン、バニラアイス、カットフルーツを盛り付け、生クリームでデコレーションしたもの。かつて喫茶店の定番のスイーツでしたが、生まれたのは、終戦直後の横浜、ホテルニューグランド。ホテル本館1階の「コーヒーハウス ザ・カフェ」で味わうことができます。

誕生のきっかけは敗戦による進駐軍のホテル接収

昭和2年創業、山下公園に面して建つホテルニューグランド

太平洋戦争敗戦の昭和20年8月15日、ホテルは徴兵を逃れたわずかな従業員に休業を伝えていますが、そんなホテルニューグランドに最初にやって来たのは、なんと連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)。
マッカーサーは8月30日に厚木飛行場に降り立つと、真っ先にホテルニューグランドを目指します。
実は、マッカーサーには戦前、5回もの来日経験があり、ホテルニューグランドにも2回宿泊しており、その快適さを実感していたのです。

ホテルでは、野村洋三会長がマッカーサーを出迎え、国民やスタッフの窮状から、満足なサービスが提供できないことを謝罪します(マッカーサーが宿泊した315号室はマッカーサーズスイートとして現存)。

空襲から焼け残ったホテルニューグランドは、連合軍最高司令官の宿泊先となり(東京のアメリカ大使館に住まいを移すまで横浜に3週間滞在、ホテル泊は3日ほどで、旭台の住宅に居住)、そしてアメリカ軍に接収されて連合国軍最高司令官総司令部の将校倶楽部と食堂、および宿舎となったのです。

進駐軍の接収時代に、将校夫人向けに考案されたスイーツ

本館1階の「コーヒーハウス ザ・カフェ」

料理好きの将校婦人からアメリカの有名な菓子学校の教科書をもらって研究し、味だけでなく、量もアメリカ風に盛り沢山にという工夫で誕生したのが、「プリン・ア・ラ・モード」。
シュリンプサラダなどの前菜を盛るための器・クルトンディッシュ(コルトンディッシュ)を使い、プリンにアメリカ軍が提供したフルーツの缶詰、カットしたリンゴを添え、生クリームでデコレーションしてボリューム感をアップしました。

滞在していたアメリカ人将校夫人を喜ばせたいという想いで生まれたのが「プリン・ア・ラ・モード」だったということに。
これだけの量のデザートを従来のデザート皿にのせるのは難しかったため、クルトンディッシュ(コルトンディッシュ=ホテルニューグランドの独自の呼び方で、正式な容器名は「バナナサンデー」)を使ったのですが、今もホテルニューグランド本館1階の「コーヒーハウス ザ・カフェ」で提供される「プリン・ア・ラ・モード」は、このタイプの器を使っています。

クルトンディッシュ(コルトンディッシュ)に昔ながらのアルミカップで焼く「カスタードプディング」、フレッシュのオレンジ、キウィ、リンゴ、缶詰のチェリーとバニラアイスが添えられた姿で提供。
リンゴも当初は「矢羽根」を模したアローカットで提供し、その繊細な技術で将校夫人を驚かせたと伝えられていますが、今では親しみやすいうさぎ型に変化しています。

ホテルニューグランドで誕生した料理は「プリン・ア・ラ・モード」のほかに、「シーフードドリア」、「スパゲッティ ナポリタン」があり、「スパゲッティ ナポリタン」は、やはり米軍の接収時代に2代目総料理長・入江茂忠が考案しています。
「プリン・ア・ラ・モード」の考案者は、当時のパティシエとだけ伝えられています。

2022年からは、青木宏一郎総支配人のアイデアで、「プリン・ア・ラ・モード」を縦に盛り付ける「プリン・ア・ラ・モード パフェ」を後藤比呂志エグゼクティブペストリーシェフが生み出し、イベント時などに提供しています。

「プリン・ア・ラ・モード パフェ」
「プリン・ア・ラ・モード」発祥の地、ホテルニューグランドへ!
所在地 神奈川県横浜市中区山下町10
場所 ホテルニューグランド
関連HP ホテルニューグランド公式ホームページ
電車・バスで 横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩2分
駐車場 118台/有料
問い合わせ ホテルニューグランド TEL:045-681-1841/FAX:045-681-1895
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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