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埼玉にもある「大正池」、上高地の大正池の2年遅れで池が誕生!

大正池(寄居)

大正池といえば、誰もが穂高連峰のビューポイント、上高地(長野県松本市)の大正池を思い浮かべます。ところが埼玉県寄居市の山中、鐘撞堂山(かねつきどうやま)の山麓にも大正池があって、こちらの大正池は上高地の2年遅れで誕生しています。ハイキングコース途中にあるので、気軽に探勝も可能。

ため池・大正池の誕生には、歴史的な背景が

上高地の大正池は、焼岳が大正4年に噴火し、泥流によって梓川が堰き止められて誕生した湖。
河畔の木々は水没して立ち枯れ、特異な景観を生み出しました。
上高地は国の特別名勝・特別天然記念物に指定されていますが、河童橋(かっぱばし)とともにそのシンボル的な存在で、大正池といえば誰もがこの上高地を思い浮かべることでしょう。

対する寄居の大正池は、秩父鉄道・東武東上線・JR八高線寄居駅の北1.5kmほどの標高130mほどの場所に位置しています。
鐘撞堂山(329.8m)を結ぶハイキングで訪れることも可能です。

こちらの大正池は大正6年に竣工した農業用ため池。
地元の農業関係者が毎日30人〜40人、2年間にわたって谷を掘削したもので、車道も通じています。

実は米不足・米価急騰を背景に、全国に築かれた大正池

大正時代にできたから、大正池というのなら、全国にと思った人は大正解。
大正池グリーンパークが整備される大正池が、 京都府綴喜郡井手町にあり、京都府では最大の農業用ダム池となっています。
江戸時代からのため池を改修して昭和35年に完成したもので、大正池と称されるのは、大正4年、大正天皇の即位式典が京都で行なわれ、それに合わせての御大典記念事業として竣工したから。

このほか、新潟県妙高市、三重県伊賀市、滋賀県蒲生郡日野町、徳島県吉野川市などなど全国に10ヶ所以上の大正池があります。

大正時代は短く、明治時代や昭和は長いのですが、なぜか明治池、昭和池は少ない傾向に。
大正時代にため池が急増したのは、耕地整理法が明治32年に制定されて農業が近代化、日露戦争(明治37~38年)で米不足が深刻化したことを背景に、水田の開削が進められたという時代背景がありました。
米の需要が増大、政府のシベリア出兵を受けて商人が米を買占めたため米価が暴騰し、米問屋の打ちこわしが起こった米騒動が発生したのは大正7年。
そんな時代に、全国で大正池が誕生したのです。

埼玉にもある「大正池」、上高地の大正池の2年遅れで池が誕生!
所在地 埼玉県大里郡寄居町桜沢
場所 大正池
電車・バスで JR寄居駅から徒歩40分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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