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広重の浮世絵に描かれた湯島天神

受験シーズンともなると合格祈願に訪れる人が多い湯島天神(正式名は湯島天満宮)。江戸時代には不忍池を眼下に、寛永寺を眼前にする高台の景勝地という地の利を活かし、料理茶屋が脇を固めて文人墨客が集う場所となっていました。江戸屈指の絶景スポットを錦絵(多色刷りの浮世絵)で解説。

歌川広重『江都名所 湯しま天満宮』(喜鶴堂版)


麓の現在の天神下・東京メトロ湯島駅側から見上げた湯島天神(湯島天満宮)の情景。まっすぐに上る男坂。上りきった両脇には眺めのいい料理屋が並んでいることがよくわかります。粋な江戸っ子や文化人が集る地だったのは、こうした江戸屈指の絶景スポットだったことも要因です。

歌川広重『江都名所 湯しま天神社』(佐野喜版)


天保5年頃の湯島天神(湯島天満宮)の情景。男坂、女坂を上りきった合流点のところで、後ろを振り向くとこんな絶景が。かなり誇張されているものの、女坂側からは不忍池を眼下にしました。つまりは北側を眺めている図。

周囲をビルに囲まれた現在の湯島天神社殿
男坂、今では不忍池を眺めることはできません

歌川広重『江戸高名会亭尽 湯嶋』


初代・歌川広重が有名料理茶屋を描いたシリーズものの錦絵『江戸高名会亭尽』。湯島天神近くにあった料理茶屋「松琴亭」と、そこからの見事な眺めが描かれています。短冊に何かを記す眼鏡をかけた人物、書物を読む人物にも注目で、文人のサロンだったことがよくわかります。
1838(天保9)年刊の『東都歳事記』には、旧暦7月28日湯島天満宮境内で月の出を待つ様子が記され、二十六夜待ち(新暦の9月中旬)に料理茶屋「松琴亭」で多くの男女が月の出を待ったことがわかっています。
料理茶屋としては広重も描いた八百善(浅草・山谷)、青柳(東両国・駒留橋)、大七(向島)、平岩(向島)、田川屋(竜泉・大音寺前)、植木屋(木母寺)、万八(柳橋)などが知られていました。

二十六夜待ち
江戸時代には、旧暦の1月と7月の26日の夜に、月の出るのを待って拝む行事を「二十六夜待ち」といって風流人が愛好しました。この日の遅く、夜半過ぎにようやく出る月は、出る間際の光が3つに分かれ、瞬時にまた1つになるように見え、その光の中に阿弥陀・観音・勢至(せいし)の三尊の姿が見えるといわれ、拝むと幸運が得られるという信仰があったのです。
旧暦1月26日は3月の中旬でまだ寒いので敬遠され、旧暦7月26日は新暦で9月の中旬ですから中秋の名月となり、江戸を中心に盛んに行なわれました。月の出を拝むことのできる海岸では高輪や品川に人が集まり(『江戸名所図会 高輪海辺七月二十六夜待』、広重『東都月の景 高輪秋の月』、広重『江戸自慢三十六興 高輪廿六夜』)、高台では湯島天神や、神田明神の料理屋や茶屋が人気でした。高輪あたりでは小舟を出して海上で月の出を待ちました。とくに女性が多かったことが資料や錦絵などで判明しています。
「二十六夜待ち」の風習は天保の改革以降は規制を受けてめっきり減少し、今では途絶えてしまっています。

江戸切絵図で知る湯島天神

湯島天神
名称 湯島天神/ゆしまてんじん
所在地 東京都文京区湯島3-30-1
関連HP 湯島天神公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ千代田線湯島駅から徒歩2分
ドライブで 首都高速神田橋ランプから約2.6km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 湯島天神 TEL:03-3836-0753/FAX:03-3836-0694
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

湯島天神

2017年1月6日

 

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