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日本三名園とは!?

日本三名園

水戸の偕楽園(茨城県)、金沢の兼六園(石川県)、岡山の後楽園(岡山県)が「日本三名園」。共通点はいずれも大名庭園であること。日本三景に割り当てられた雪月花同様に、雪=兼六園、月=岡山後楽園、花(梅)=偕楽園と日本三名園にも雪月花が割り当てられています。

偕楽園

所在地:茨城県水戸市見川
開園:天保13年(1842年)
作庭:水戸藩第9代藩主徳川斉昭の命で長尾景徳(本草学者)が作庭
命名の由来:領民と偕(とも)に楽しむ場(『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節から)
その他:日本遺産「近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―」の構成資産

偕楽園

幕末の名君として知られる第9代水戸藩主・徳川斉昭(とくがわなりあき)が天保13年(1842年)に民衆とともに楽しむために造園した庭園。100品種3000本にも及ぶ梅林が圧巻。開花期も長く、2月中旬〜3月まで美しい梅の花が次々に咲き楽しむこと

兼六園

所在地:石川県金沢市兼六町1
開園:延宝4年(1676年)
作庭:加賀藩4代藩主・前田綱紀(まえだつなのり)が別荘「蓮池御殿」(れんちごてん)を建設し、その付属する庭園を作庭(以降に整備)
命名の由来:宋の詩人・李格非の『洛陽名園記』中に中国洛陽の名園・湖園を「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」と謳った文があることから白河藩主・松平定信が命名
その他:国の特別名勝

兼六園

水戸の偕楽園(かいらくえん)、岡山の後楽園(こうらくえん)と並び、日本三大名園に数えられる兼六園。江戸時代の代表的な林泉回遊式の庭園で、国の特別名勝にもなっています。霞ヶ池の畔にある徽軫灯籠(ことじとうろう)は、兼六園のシンボルともなった灯

岡山後楽園

所在地:岡山県岡山市北区後楽園1-5
開園:元禄13年(1700年)
作庭:岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて作庭
命名の由来:明治4年、藩知事・池田章政が中国・宋の范仲淹が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」(「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」)から命名
その他:国の特別名勝

岡山後楽園

水戸の偕楽園(かいらくえん)、金沢の兼六園(けんろくえん)と並んで、「日本三名園」のひとつに数えられる岡山の後楽園。岡山藩主・池田綱政によって、14年もの歳月をかけて完成。造園当時は、岡山城の後に造られた園という意味で、「御後園」と呼ばれて

掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

【知られざるニッポン vol.24】日本三名園に隠された「意外な事実」

日本人は日本三〇〇とか、三大〇〇が大好き。今回は「日本三名園」を紹介しましょう。金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園が「日本三名園」。誰が、どんな基準で選んだのでしょう? 「The 3 Great Gardens of Japan

 

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