愛媛県大洲市、明治34年、大洲商業銀行本店として建てられた和洋折衷の建物が、おおず赤煉瓦館。銀行建設の背景には、当時、大洲が養蚕・製糸の集積地として繁栄し、明治32年には「大洲繭売買所」が開設したことがあります。つまりは明治時代の大洲繁栄のシンボルということに。
大洲盆地の蚕糸業繁栄を今に伝えるレンガ建築
明治15年、下井小太郎(慶応義塾4期生)が喜多郡長に就任、郡の勧業資金をもって優良桑苗を郡内各町村の農家に無償配布し、養蚕業を積極的に奨励。
大洲盆地が2~3年に一度は肱川(ひじかわ)の氾濫に見舞われ、穀物栽培には適しない反面、氾濫によって地力が回復し、桑木が洪水に強いため桑栽培には最適ということを見抜き、以降、大洲の養蚕製糸業は本格的に発展するようになりました。
明治32年の大洲繭売買所の開設に前後して、大洲では河野真太郎、近藤勝蔵、河野庫太郎らによって共捻式製糸場が次々と建設され、田鶴谷岩治郎は、養蚕家が生繭で販売すると不利であることを鑑みて、大規模の繭乾燥場を建設。
大洲商業銀行は、明治29年に設立(明治33年には愛媛県下に50の銀行が乱立)、第一次世界大戦による好況の反動による金融恐慌を背景に、合併が進み大正10年に伊予貯蓄銀行となっています。
大洲商業銀行は、養蚕・製糸の繁栄を背景に、繭を抵当として融資することが多かったため、保管所が手狭となり、繭の保管倉庫を兼ねた銀行本店を本町に建設したのです。
このレンガ建築が、おおず赤煉瓦館です。
使われるレンガには、「イヨ大洲原」という刻印もあり、地元で焼成されたものであることがわかります。
大洲藩内では、嘉永元年(1848年)、砥部焼(とべやき=愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器)の井岡太蔵がトンバリ(レンガ)を使った窯を造っていることからも、レンガ焼成技術あったのです。
建物は昭和29年に大洲市の所有となり、大洲町警察庁舎、大洲商工会議所事務所を経て、現在は大洲市の観光施設「おおず赤煉瓦館」として再生。
おおず赤煉瓦館の外壁はイギリス積みの赤レンガで寄棟造り瓦葺きの屋根をのせ、鬼瓦に商の字が入っています。
本館には、大洲の特産品の展示販売コーナー、ギャラリー兼休憩所、有料施設の別館に「なつかしの映画コレクション展」、「文庫・カントリーアンティーク展」などがあります。
おおず赤煉瓦館 | |
名称 | おおず赤煉瓦館/おおずあかれんがかん |
所在地 | 愛媛県大洲市大洲60 |
関連HP | 大洲市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR伊予大洲駅から徒歩20分。または、タクシー5分 |
ドライブで | 松山自動車道大洲ICから約5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | おおず赤煉瓦館 TEL:0893-24-1281 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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