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来島海峡

来島海峡

瀬戸内海の中央、愛媛県今治市街と沖の大島の間にあるのが、来島海峡(くるしまかいきょう)。とともに「日本三大潮流(日本三大急潮)」に数えられる海の難所で、広島県尾道市とを結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」の来島海峡大橋が架けられています。大島からは来島海峡急流観潮船も運航。

日本三大潮流にも数えられ、渦潮が発生

4kmの狭い来島海峡は、来島、小島、馬島、中渡島、武志島、小武志島、毛無島など大小11の島々などがあることで、4水道に分かれており、最大10ノット(時速18.5km)を超える潮流や深い渦が生ずることも。
航路が設定されているのが今治と馬島の間の来島海峡第3大橋の架かる西水道と、馬橋と武志島間の来島海峡第2大橋の架かる中水道(下の画像を参照)。
にもかかわらず、重要航路として1日600隻もの船舶が航行するため、2つの潮流信号と8つの灯台などが設置され特殊な航法で運用しています。
それが来島海峡航路の航法 「 順中逆西 」(じゅんちゅうぎゃくせい)。
潮流が北流時には、右側航行(西に向かう船は、中水道を経由しできる限り大島側に近寄って航行、東に向かう船は西水道を経由しなるべく今治寄りを航行)と決められています。
逆に潮流が南流時は左側航行となるので、来島海峡展望館などの園地から眺めた際に、船の航行方法で潮の流れが分かる仕組みです。

また世界初となる三連吊り橋「来島海峡大橋」(全長4105m)が海峡に架かり、車や自転車、人も通行可能。
橋からはもちろん、今治市側の小浦にある「来島海峡展望館」からも来島海峡や来島海峡大橋、しまなみ海道の島々が一望のもと。

歴史的にも来島は村上水軍の拠点で、来島城主・来島通康は豊臣秀吉に重用されています。
馬島は、その名の通り、藩政時代に今治藩が馬の放牧地を行なった島。
さらに日清戦争後にはロシアのバルチック艦隊の瀬戸内海侵入を想定して芸予要塞(来島要塞)・小島砲台が築かれ、明治時代の沿岸要塞の遺構が唯一完全に近い姿で現存する貴重な遺構になっています。
来島海峡に浮かぶ瀬戸内の小さな島々は、大いなる歴史を秘めているのです。

来島海峡航路の航法 「 順中逆西 」、画像は潮流が北流時の様子
来島海峡
名称 来島海峡/くるしまかいきょう
所在地 愛媛県今治市
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日本三大潮流とは!?

「鳴門の渦潮」(なるとのうずしお)で知られる鳴門海峡。有名な渦潮は直径20~30mに達して、日本最大の潮流。これに続くのが来島海峡(くるしまかいきょう)。そして平家が滅んだ源平合戦で有名な壇ノ浦の戦いも1日に4回潮流の向きが変わるという関門

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来島海峡急流観潮船

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