愛媛県松山市、松山観光港の沖500mに浮かぶ大小3つの岩が連なる小島で国の登録記念物に指定されるのが四十島(ターナー島)。正式名は四十島(しじゅうしま)ですが、夏目漱石の小説『坊っちゃん』で、登場人物の野だいこがターナー島と名付けていることから、ターナー島と通称されています。
夏目漱石『坊っちゃん』で野だいこが命名
夏目漱石の小説『坊っちゃん』に、「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いて夕一ナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云ふと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲がり具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」というシーンが登場します。
文中で「野だ」と記されるのは、東京出身の画学教師、野だいこのこと。
ターナーは、ロマン主義の画家のジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner)で、赤シャツはジェームズ・フレイザーの『金枝篇』に口絵として掲載されたターナーの『金枝』などをイメージしていると推測できます。
ちなみにモデルとなった四十島は、小説『坊っちゃん』では、青嶋という名で登場。
明治39年に発表された小説『坊っちゃん』は、明治28年4月から教鞭をとった愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)での体験をもとに描いた小説。
明治29年4月に熊本の第五高等学校へ赴任するまでの1年間の体験を後年、描いたもの。
小説『坊っちゃん』発表の翌年、明治40年3月28日、夏目漱石が東京から大阪に向かった時の日記には車窓の風景に関して「海道の松。広重。山の上の松」 と記されたあとに、松の木のスケッチが描かれ、「コンナノガ一本立ツテ居ル」との注釈が加えられているので、かなり屹立する松の姿に思い入れがあったことがわかります。
正岡子規も漱石が松山に赴任する3年前に、明治25年に「初汐や松に浪こす四十島」と詠んでいて、蛭子神社に句碑があります。
往時には松が茂っていたが、残念ながら松くい虫で往時の松は全滅し、現在の松は地元の地道な再生活動で復活した松です。
松山観光港から出航する船中から見学が可能。
ちなみに、夏目漱石が松山に赴任してきた明治28年の三津浜港には、汽船が接岸できる設備がまだなかったので、汽船は沖合に停止、乗降には艀(はしけ)が用いられていました。
阪神からの下り便は四十島にさしかかると、汽笛を2回鳴らし、接近を知らせます。
そこで、三津浜港から艀が出航する仕組みで、汽笛の音で、何丸かを聞き分けたといいます。
小説『坊っちゃん』で、「ぷうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめてゐる。野蛮な所だ」という描写がありますが、汽船が停泊前に艀は出航し、さらに艀に乗船する船舶会社の代理店社員は、真っ裸に赤ふんどしということはないので(『三津浜誌稿』などで指摘されています)、夏目漱石の西欧文明に接して抱いた緊張感を背景にした近代化を促す意識の表れ、明治の文学者のナショナリズムと指摘する人もいます。
四十島(ターナー島) | |
名称 | 四十島(ターナー島)/しじゅうしま(たーなーとう) |
所在地 | 愛媛県松山市高浜1丁目地先 |
関連HP | 松山市公式ホームページ |
電車・バスで | 伊予鉄高浜駅から徒歩15分で松山観光港 |
ドライブで | 松山自動車道松山ICから約16kmで松山観光港 |
駐車場 | 松山観光港ターミナル駐車場(266台/有料) |
問い合わせ | 松山市文化財課 TEL:089-948-6603 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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