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遠登志橋

遠登志橋

愛媛県新居浜市を流れる国領川水系小女郎川に架かる橋が遠登志橋(おとしばし)。明治38年、別子鉱山の東平(とうなる)地区への生活道として築かれた橋長48m(支間長37m)の鋼製スパンドレルブレースト単アーチ橋で、現存する日本最古級の鋼製アーチ橋で、国の登録有形文化財、経済産業省の近代化産業遺産のひとつ。

別子銅山の歴史を伝える鋼製アーチ橋

遠登志橋の架る遠登志渓谷(おとしけいこく)は、かつてその急流さから「落とし」といわれた場所。
鹿森ダム(昭和38年4月に供用開始)のダム湖・「別子の湖」に流れ込む支流の小女郎川(こじょろがわ)の渓谷で、ダム湖から川沿いの遠登志渓谷遊歩道を200mほど歩くと遠登志橋が架かっています。

別子銅山では、明治38年、東平~黒石間に複式索道が設置され、東平選鉱場が開場。
明治時代後期に、別子銅山の中心地は東平に移っていますが(大正5年に採鉱本部や主要な鉱山施設も東平に移転)、その東平地区への生活道路の橋として架橋されたのが遠登志橋です。
明治時代に架橋された鋼製アーチ橋で、往時の場所に、そのままの姿で架かっている橋としては、日本で唯一、まさに貴重な産業遺産になっています。

架橋当時には、鉄や銅などの重金属が含まれる銅山の坑内排水が川に混入しないように坑水路が併設されていました。
別子銅山の第三通洞の貫通(明治35年)により、坑内に側溝を切って排水を行ない、第三通洞〜端出場間と別子鉄道下部線(端出場〜山根〜新居浜間)沿いに総延長16kmの坑水路を設けました(明治38年11月完成)。
遠登志橋も、この坑水路を渡すという役割を担っていたのです。

老朽化により、橋の通行が危険となったため、平成5年には、補強工事が行なわれるとともに(アーチ橋を修復して往時の姿に復元)、アーチ橋の直上に別に橋長50mの観光用ワイヤロープ吊橋が架けられています。
遠登志橋近くの山の中腹には、明治37年に完成した遠登志水力発電所の跡もありますが、現在は遊歩道の東屋が建つのみ。

別子銅山関連遺産(「地域と様々な関わりを持ちながら我が国の銅生産を支えた瀬戸内の銅山の歩みを物語る近代化産業遺産群」)として経済産業省の近代化産業遺産にも認定。

遠登志橋
名称 遠登志橋/おとしばし
所在地 愛媛県新居浜市立川町620-1・653-1
関連HP 新居浜市公式ホームページ
ドライブで 松山自動車道新居浜ICから約8km
問い合わせ 新居浜市観光案内所 TEL:080-8105-3641
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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